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  • 日本料理には、コクやうま味、あるいは風味をよくするために日本酒が使われる。

    西洋料理ではワインを、中華料理では紹興酒などが使われるように、料理には酒類は風味やコクをつけるのに欠かせない。

    美味しい料理をつくるには、高価な美味しい酒を使ったほうがよいという料理人もいる。

    いろいろな成分を組み合わせて作った料理酒よりも醸造酒がよいともいっている。

    一般には、高価な酒は料理に使うのはもったいなく、飲んだほうがよいことが多い。

    腕のよい料理人は、酒の良し悪しのことは知っていても、たしなむ程度しか飲まないのは、酒を料理の調味料としているからであろう。

    次は、日本酒に含まれるアミノ酸の種類の例である。(液体クロマトグラフィにより分析)

    (柴田日本料理研鑽会「専門料理」より)


    アミノ酸の種類(mg/100g)

    近年は、自分の趣味で調味料を工夫し「マイ・調味料」などを提案している人もいる。

    料理店でも、特有の「かけ醤油」や「つけ醤油」が提供しているところも多くなった。

    そこで、CMで宣伝している会社は除き、醤油をベースにした調味料のいくつかを紹介する。

    日常の食卓や料理に参考にしていただければ幸いである。

    鶏醤

    魚醤油は昔から秋田や能登、四国、東南アジアで作っているが、鶏醤は、珍しい。北海道・三笠市でつくっている。新鮮な北海道の鶏の内臓に天然塩を加えてじっくり発酵させて作ったものである。たんぱく質含有量が多いのが特徴である。

    飛魚のつゆ

    山形県酒田市は飛魚が獲れる北限の地である。飛魚から作る「焼きあご干し」は、山陰や九州地方の雑煮のだしには欠かせない。あごだし汁は、カツオ節のだしとは違ったうま味がある。このあごだしを使った醤油は、かけ醤油として使ってもよいということである。

    太古楽

    石川県白山市のご当地醤油である。丸ダイズ醤油のもろみをベースに、米麹、カツオ節を原料でつくっている。粘りがあるので、かけ醤油として適している。(チャーハンにかけてもよい。)

    平戸魚醤油

    魚醤油としては甘い。カタクチイワシ、昆布、鰹節に塩を加えてじっくり熟成させ、見た目はダイズからつくった醤油のようである。塩分が少なく、アミノ酸、タウリン、ペプチドが多い。

  • 以前、10月1日は「醤油の日」で醤油の品評会、醤油を使った料理の紹介等があることを述べたが、「醤油復権知恵絞る」(2010.10.23 読売新聞 朝刊より)の記事によると食卓からの醤油離れが止まらないらしい。

    その打開策として金沢市で「全国醤油サミット」が開かれた。かつては、調味料に醤油を使った料理は多かった。

    醤油離れの要因として少子高齢化、洋風料理の増加、外食や調理済み食品の利用の増加などが考えられる。

    醤油離れの打開策として日本醤油協会は業界OBによる出前授業、醤油を使った料理のコンテスト、醤油を使った新製品の開発などを企画している。2011年の「醤油の会」では、9月30日にレシピ紹介や功労者への表彰が行なわれた。

    醤油の利用拡大については、いろいろと工夫されているが、もう一度日本の食文化の原点から醤油の存在や意味をアピールすべきであろう。

    そうしないと、醤油を知らない子供がでてきそうである。

    金沢市では醤油を生かした街造りの試みとして醤油サミットを開き、醤油の復権や若手後継者の挑戦を計画した。

    菓子に醤油を入れたもの、熟成醤油入りサブレ、醤油とバターを垂らした「バター飯」などを開発したり、消費者に「マイ醤油」を持ってもらうなども行われた。

    醤油は食塩を含むため、血圧を高くするなどの健康上マイナスイメージのある調味料だが、醤油は味を整えたり、梅干しのような酸味の強い食品の味をまろやかにする働きもある。

    砂糖は分密糖と含密糖に分けられる。分密糖の中はざらめ糖と車糖に分けられている。

    ざらめ糖(普通「ざらめ」という)は車糖よりも純度が高い。さらに、ざらめ糖は純度の高い順に白ざら糖、中ざら糖、グラニュー糖などに分けられている。普通、家庭で使っている上白糖は車糖に属する。

    砂糖が原料のサトウキビから得られたものは、褐色の黒糖(黒砂糖)である。これから色素やミネラル類の不純物を除いていくと白色の砂糖になる。

    さて、スイーツに使う砂糖は、スイーツの種類によって砂糖の種類が違う。飴細工やトッピングには不純物を含まない粉砂糖が使われる。マカロンのようにサクサクな食感をだすにはグラニュー糖が使われる。しっとりした食感が欲しいカステラ、スポンジケーキには上白糖が使われる。カステラのザラザラ感は、スポンジの下に敷いたざらめ糖による。

    ブラウンシュガーはクッキー、サブレ、カラメルに使うことにより、サブレやクッキーにコクとうま味がでる。

    瓦煎餅にはグラニュー糖を使う。焼いて直ぐは軟らかいが、しばらくたつとグラニュー糖は煎餅の素材の中で硬い飴のように変わるのでパリパリに割れるのである。

    メープルシロップは、カナダのサトウカエデの樹液を濃縮したものである。蜂蜜のように透明さと香りを生かしてホットケーキのシロップに使われる。クッキーに使うとメープルシロップの香りがほどよく感じる。

  • ◆昭和の調味料(1)◆

    第二次大戦前の調味料

    ―砂糖は消費のバロメーター

    昭和初期の食生活は、大正12年の関東大震災により大きく変貌したといわれている。震災前は、関東と関西の食文化はそれぞれ独立していた。震災は東京を壊滅状態にし、その復興に大阪の料理や京都の料理が東京に進出し、東西の食文化の交流が始まり、東西の嗜好や味付けが平均化し始めた。

    昭和年代に入り昭和10年頃までは、国内外とも不況であり、国内外では戦争や軍部による内乱が起こった。都会でカレーライスや支那そば(現在のラーメンまたは中華ソバ)が新しい食べ物として定着したのも昭和10年前だったようである。この頃の農村の調味料の主体は、味噌・醤油・砂糖・塩であった。1939年のドイツのポーランド侵入が発端となって開始された第二次世界大戦以前の活況期には、「砂糖は消費の文化のバロメーター」といわれたように好景気の時代であった。昭和の初期の農家では、味噌や醤油は自分の家で醸造し、街場の人に有料・無料のいずれかで分けていた。しかし、醤油の醸造は、味噌の醸造より手間がかかるので醤油の自家製造は徐々に消滅していった。

    味噌に関しては「手前味噌」というフレーズがあるように、農家では自家醸造が盛んであった。味噌が庶民的な食品となったのは応仁の(1467〜1477年)であり、醤油は室町時代(1336〜1573年)から調味料として使われていたが、贅沢品であった。池田菊苗博士が昆布のうま味成分としてグルタミン酸を発見したのは、1908年(明治41)であり、水に溶けやすいグルタミン酸ナトリウムとして生産され、徐々に生産量が増加し、昭和12年には戦前のピークに達したが、その生産量は減少し、戦後再び増加している。

    大正末期から昭和初期になり、カキフライやバター焼き、ハンバーグ、コロッケなどの西洋料理が普及し始めた。マヨネーズは大正末期頃から徐々に増加している。ソース類は幕末から使われているが、明治維新の文明開化に伴い輸入量が増え、東京・横浜・神戸なでの洋食屋で使うようになった。国産のソースが発売されるようになったのは明治29年である。当時は、ハイカラー調味料として注目されたようである。

    ◆昭和の調味料(2)◆

    戦中の調味料

    ―嗜好的調味料は二の次だった

    昭和時代に入ってからの戦中といっても、昭和12年(1937)に突入した日中戦争から、日中戦争の行き詰まりの打開のために昭和16年(1941)に開戦された太平洋戦争があった。昭和45年8月15日に、日本は参戦した国々に無条件降伏した。とくに、昭和45年8月にアメリカによる広島・長崎へ原子爆弾が投下され、世界で初めての被爆地となった。その後、原子爆弾により被爆した国民はいないが、原爆の実験により被爆した国民はいる。

    今回の東日本大震災により発生した東京電力の福島原子発電所の事故による放射性物質の飛散や放射能による被爆は、すでに広島・長崎で経験しているから、決して起こってはならない事故と信じていた。さて、日中戦争の突入以来、わが国の食糧事情は徐々に悪化し、食料の価格も上昇した。米穀事情も急変し、コメが不足し、調味料も十分に存在しなくなった。昭和15年には、味噌、醤油、砂糖などの食料や生活必需品は切符制となり、コメ、味噌、醤油などは統制となった。すなわち、食料の通帳や切符が各家庭に割り当てられ、その割り当てられた量しか変えなかったのである。終戦近い昭和18年、19年になると、さらに食料事情は悪化し、コメにイモやイモの茎、ヒエ、アワなどを混ぜてご飯とするようになった。昭和20年8月に終戦となったが、戦争の末期から終戦直後は、人々はいかに空腹を満たし、栄養を補給するかが当座の目的で、調味料は二の次だった。塩の消費量は減少し、海外からの輸入にたよっていた砂糖も激減した。ダイズの輸入も減少したので醤油や味噌は、アメリカから輸入した脱脂大豆を原料として作った。戦時中の家庭用の調味料は塩、砂糖、味噌、醤油が主体で、都会では入手するのに苦労した。調味料は嗜好的な調味料と捉えられ、生産は停止した。一方、昭和18年より生産を停止していたうま味調味料の生産が昭和21年頃から再開された。いつの間にか、何でもうま味調味料を振りかけるようになった。もともとのうま味調味料の製造の原料は昆布であったが、その後、ダイズや小麦粉が原料となる。近年になり、以前からの合成からサトウキビの糖の発酵による製造へと発展した。

  • ◆江戸時代以前の調味料の使い方◆

    世界的な調味料としては、塩、酢、砂糖が用いられている。例外として、韓国のキムチ、タイのトム・ヤム・クンなどのようにスパイスが調味料の一端を担っている場合ある。

    日本料理の調理では、調味料を使う順序が調理の手法であるとなることがある。しかし、煮物用の汁やみそ汁や吸い物、鍋物の汁では、前もって各種の調味料を混ぜておくので調味料を使う順序は問題とならない。このような調味料を使う順序が、調理技術のセオリーのようにいわれるようになったのは、鎌倉時代からである。中国から禅宗とともに精進料理の原形が導入され、「羹」という野菜や肉を入れた汁料理が普及したことによる。この味付けに醤油の原形の「醤」から発展した味噌が使われるようになってからである。

    平安時代以前は、調理の段階で味をつけをしないで、基本的調理法は「生」「干す」「塩漬け」であり、火を使った調理法は「焼く」「茹でる」「蒸す」「汁にする」といった簡単なものであり、食べるときに、食べる人がそれぞれ好みの調味料をつけて食べた。この時の調味料は「塩・酢・酒・醤」の4種類で、これを入れた皿を「四種器」といわれ、貴族の宴会料理には欠かせない調味料であり、器であった。塩は原始時代から海水を煮詰めてつくり(藻塩といい海藻についている海水からも塩を作った)、酢はかんきつ類の搾り汁や酒を発酵して作った。梅の塩漬けの際に溶出する梅酢が、酸味と塩味の調味料としても使った。醤には魚や穀物の発酵物が利用されていた。魚の醤は、魚醤油として「しょつる」「いしる」などがあり、穀物の発酵物が醤油へと変化してきた。

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