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  • 西の押し鮨に対し江戸前鮨といわれる握り鮨はいつ頃誰によって考案されたか。諸説があり定説は無いが江戸期に両国回向院前にあった興兵衛(与兵衛)鮨の小泉( 華屋) 興兵衛によって創案されたとされる説がある。

    文化、文政の頃は徳川の治下かつてない平和な時代が続き人々の食生活が豊かになり食に対する嗜好性も高くなる。ちょうど江戸料理の確立を見た頃である。もっとも江戸の町には早鮨等と言われ屋台の握り鮨屋が既にあったとされている。その中から財を蓄えた商人や宵越しの銭を持たない江戸っ子気質に後押しされ高級を売り物にする鮨店が店を構えるようになった。

    興兵衛鮨もその一軒であったが天保の改革による贅沢禁止令に反した罪で興兵衛以下が捕られる事件が起こる。天保十三年の事である。この事件により興兵衛鮨は反って有名となり益々繁盛したとも言われている。

    余談ではあるがこの興兵衛を取り締まったのが時代劇でおなじみの北町奉行遠山の金さんであったとされている。興兵衛鮨はそれにより自粛を余儀なくされるがその後も江戸、東京と続き昭和7 年に廃業されるまで名声をはくしたとされている。

    現在墨田区両国一丁目には江戸前握り鮨発祥の地、与兵衛すし跡として案内板が立てられている。興兵衛鮨が江戸前鮨の元祖と言われるのは前記のエピソードに加えその鮨を描いた正確な絵が残る事にもある。明治10 年内国勧業博覧会出展の為川端玉章が興兵衛鮨を写生した「両国興兵衛」秘蔵のすし図(現在所在不明)に20数種の鮨が描かれていたと言う。元絵を写した絵や作り方等の文献は今も残りクルマエビ、シラウオ、アカガイ、コハダ、厚焼き玉子、鮎の姿鮨等まさに今に通じる江戸前の仕事を施した鮨として伝わっている。

    小堺化学工業本社のある人形町にはこの興兵衛鮨の流れをくむ鮨店がある。初代が興兵衛鮨の支店馬喰町「すし忠」で修行し興兵衛鮨の技を受け継ぎ独立した人形町「き(七七七)寿司」である。現在も正統な江戸前鮨を伝承する名店と言われている。


    すしの字は寿司、鮨、鮓、寿し、スシ等有るが本文では鮨の字を使用。根拠は無し。
  • 通の発達により各地の食材が手に入るようになり、江戸前鮨のネタの種類も豊富になってきた。又食の多様性で日本人の嗜好も変わって来ている。「目には青葉山ホトトギス初鰹」の句にあるように鰹は江戸っ子の好物であった。とりわけ初鰹は高値で取引され、江戸っ子はいち早く食べなければとこぞって見栄を張った。今の東京人には刺身や鮨種と言えばまずは鮪であり、とりわけトロを食べる事は庶民の憧れである。

    ところが江戸の昔、鮪は下魚とされ特に脂の乗った腹の部分は殆ど食されなかったらしい。鮨ネタとしてトロが登場するのはずっと後の話で、昭和初期初めて握って客に出したのは「日本橋吉野鮨」と言われている。吉野鮨の主人がアブと呼ばれていた脂身の部分ももったいないと考え、客に試した処意外に酢飯との相性がよく好評であった。食べた客の一人が口の中でとろっとするのでトロと呼んではと言う事で、トロと呼ぶようになったと言う話である。今では部分によって大トロ、中トロ、表面をあぶってあぶりトロ、カマや頭の部分をカマトロ等呼び方も細かく区別されるようになった。中には同じ大トロでも霜降りや鹿の子等区別して、客に食べ比べてもらうように提供する高級店もある。

    日本橋吉野鮨本店は、日本橋高島屋裏で今も江戸前鮨店として繁盛している。その箸袋には「江戸で生まれて東京で育ち今じゃ日本を握る鮨」という粋な文句かかれている。食材としてのイクラやウニは握りにくく握ったところで又食べにくい。クラッシックな鮨店では握って出す店もあるが、一般的には軍艦巻きと言って酢飯を海苔で囲むようにしてその上にイクラなどを乗せこぼさずに食べられるよう工夫をしている。この食べ方を考案したのは、かの北大路廬山人に握り鮨名人と言われた「銀座久兵衛」の初代主人であったと言われている。この方法にてなんでも握る(乗せる)事が出来るようになり鮨種の種類は飛躍的に多くなった。

    巻物もすだれで巻くばかりでなく手巻き鮨なる巻物も現れ、こちらも発祥の店と言うと「築地玉壽司」が昭和46 年に始めたとされ、同店が元祖末廣手巻きと名乗っている。すだれで巻いてはつぶれてしまい巻きにくいウニやイクラ等を、さっと炙った海苔に乗せて包むような要領で海苔巻きにして職人の手から客の手に直接渡す。炙り立ての海苔の風味とパリッとした食感が楽しめる。受け取った客はそのまま口に運ぶと言う面白さも受けたようである。

    ちなみに鮪を拍子木のように切り巻き鮨にした鉄火巻きは、昔博打場(鉄火場)で簡単につまんで食べられるように考えられた事から鉄火巻きと言われるようになったと言う説がある。

  • 戸、東京。

    明治、大正、昭和、平成と時代は変わるが今に至る現代の江戸前鮨を語る上でかかせない店がある。江戸末期からの名店の流れをくみ明治10 年創業の三原橋「二葉鮨」である。天皇陛下の前で鮨を握った三代目、現在5 代目であり代々続く名店であると共に多くの鮨職人を輩出した功績においても特記すべき有名店である。

    昔の鮨店はオーナーが職人を雇って店を営業するケースが多かった。包丁一本サラシに巻いての世界でも有るが良い職人を雇えるかどうかが店の繁盛に影響したのは言うまでも無い。

    二葉鮨ではその職人の派遣や斡旋を手掛けてきた歴史がある。昭和初期の鮨業界では二葉鮨出身の多くの鮨職人が業界の発展に貢献した。中でも銀座「きよた」の初代親方を始め、「すし春」、「錦」などの親方を務めた藤本繁蔵、銀座「なか田」を創業した中田一雄、銀座(後の八重洲)「おけい寿司」の新家安蔵、銀座「源」の岡田源四郎は特に有名で二葉鮨四天王と言われ名職人、名店の主人として知られている。深川不動に双葉鮨二代目が奉納した番付には所属していた八十人からの職人名が刻まれていたとの話である。

    ところで二葉鮨のある銀座は高級鮨店の代名詞とされている。寿司幸本店、新富すし、ほかけ、きよ田、等々名前を挙げればきりがない。各店が味を競い昭和以降の江戸前鮨の伝統と技術を継承し鮨の技術を確立して行く事となる。その中から日本を代表するホテルに出店を依頼された鮨店がある。なか田と久兵衛である。帝国ホテルに「なか田」ホテルオークラに「久兵衛」が出店しその後アメリカ大統領を始め世界のVIP の舌をうならせる事になる。ミシュランの三ツ星を獲得した銀座の名店「すきやばし次郎」も内外共に有名店となり共に日本の鮨を世界に知らしめる役割をはたす。これらの店で修行した多くの職人が次世代の江戸前鮨職人として江戸前の技を伝承し現代江戸前鮨の旗手として活躍している事も付け加えたい。技術を受け継ぎ独立した店舗は多いが代表的な店として次郎からは「水谷」なか田からは「からく」。久兵衛はその後ホテルニューオータニ、京王プラザホテルにも出店している。

  • 本人は世界中で最も魚を美味しく食べる方法を知っている国民と言えるだろう。一見単純に見える江戸前鮨は旬の魚をどうしたらよりおいしく食べられるかと言う工夫が沢山されている。日本人の魚への思いや知識が凝縮された料理と言えるのではないか。小骨も多く身も軟らかく煮ても焼いても食べにくいコハダを塩と酢で〆て食す。色が変わりやすいマグロの赤身を醤油で漬け込むヅケ。たん白なヒラメ等の白身魚を昆布の間に挟み熟成させ旨味を増す昆布 〆。穴子をさばいて煮込みコラーゲン質を軟らかくし、握る直前にさっとあぶり焼きにする。その頭や骨から取った出汁を煮つめたツメと呼ばれるタレをぬって食べる。鶏卵にエビや白身魚のすり身を混ぜて焼き上げる卵焼き。いずれも江戸前鮨の誇るスターたちである。生きた車えびを水槽からすくって客の見ている前で手際よく殻をむき握り鮨にする、いわゆる海老の踊りと言うパフォーマンス。飾りつけの笹を包丁で切り鶴や亀等に見えるように細工する。その包丁裁きを見れば職人の腕もおのずと分かると言う物である。客の目の前で鮨を握る職人の粋な姿は絵になるものである。

    ところで鮨の調理人は何故か職人と呼ばれる。調理人でも料理人でもなく鮨職人の呼び名が似合うのは江戸前の伝統を受け継ぎ技術のみでなく江戸っ子気質まで伝承されるからであろう。だいぶ以前の事に成るがTVドラマで「いきのいいやつ」と言う鮨店を舞台にしたドラマがあった。江戸前の鮨店の店主とそこで修行する事になった若者が織り成す人情ドラマで好評であった。修行を通して技術ばかりでなく職人の心意気や人の道を学び一人前の鮨職人として独立するところで最終回を迎える。主人がこの原作者でありモデルとされる店が神田神保町の路地にたたずむ江戸前鮨の名店「神保町鶴八」である。さしずめ暖簾分けされたこちらも名店として名高い「新橋鶴八」の主人が修行を終えて独立した職人のモデルと言う事になるのだろうか。

    現在最も完成された鮨の握り方に本手返しと言う技法がある。手の中で鮨めしを転がすようにして形作る握り方で見る目も華麗に握り上げると共にふっくらと口に入れると崩れるように握ることが出来る。この本手返しは安政二年創業の木挽町「美寿志」と言う鮨店で明治時代に完成されたと言う説が伝えられている。銀座にある「寿司幸本店」はその流れを汲む江戸前鮨店として知られている。浅草駒形の鮨店「松浪」の主人はこの本手返しの達人で通常熟練者でも5秒は掛かるところ2秒程で華麗に握ると言われている。

    小堺化学工業鰍フ顧問である成瀬宇平はかって職人の握る鮨を医療に使うMRIで撮影し、握り加減による鮨の美味さを科学的に検証した事がある。飯粒の間の空気の空間が口に入れたときの握りの食感に違いを及ぼし微妙な握り具合が鮨の味に影響を与える事が分かった。まさに職人の技を科学的に実証したわけである。

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