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  • 更科蕎麦

    信州信濃の新蕎麦よりもと都々逸にも歌われたように信州は江戸の昔より良い蕎麦の収穫される土地として知られていた。黒姫や戸隠の霧下そばは寒暖の差により国産そばの中でも特に品質が良いと言われている。

    保科家の江戸屋敷に出入りしていた信州更級の反物商、布屋太兵衛は蕎麦打ち上手として知られていた。保科家の勧めもあり信濃布の商いから蕎麦屋に転じ保科家江戸屋敷に程近い麻布永坂町に店を構えた。看板は「信州更科蕎麦処 布屋太兵衛」と掲げた。更科は信州そばの集散地でもあった更級の「級」の音に保科家から許された「科」の字を当てたものと言われている。創業は寛政元年(1789年)と伝えられている。現在一般的に色の白い細打ちの蕎麦を更科蕎麦と言いこの店が発祥とされている。場所柄大名家や寺社に出入りをするようになり更科蕎麦は御膳蕎麦とも言われた。玄蕎麦の殻(果皮)を取り除き丸抜きにして石臼でゆっくり挽いて行くと粒が割れて最初に中心部の柔らかい部分が粉となる。きめの細かい色の白いそば粉は一番粉と呼ばれこれを更科粉と呼ぶ場合もある。石臼のすき間を少し開けて割抜きと言う方法で粒が二つ三つに割れた上割れと言う状態で割り抜いた物を製粉したそば粉を本来は更科粉と言うらしい。使われる粉の特徴によって色の白い細くて長い蕎麦を打つ事が出来る。永坂更科布屋太兵衛のトレードマークとなっている細く長い蕎麦を箸で高く持ち上げて食べようとしている町人の絵は更科蕎麦の特徴をよく表している。

    麻布十番大通り沿いには2件の更科蕎麦が店を構えている。「総本家永坂更科布屋太兵衛」と「総本家更科堀井」である。どちらも創業寛政元年創業で総本家を名乗っている。永坂更科は代々布屋太兵衛を名乗って来たが明治になり苗字を堀井と名乗った。戦後堀井家は一度店を閉め、会社組織となった永坂更科は更科の伝統を引き継ぎながら規模を大きくした。登録商標を持つ永坂更科布屋太兵衛は多くの支店を持ち更科蕎麦の普及に貢献している。堀井家直系の更科堀井は更科蕎麦の伝統を守り繁盛している。少々複雑な事情はあるがどちらも更科蕎麦の名店である。

    更科蕎麦を初めて食べた人の中には自身の持つ蕎麦のイメージからか首をかしげる人もいる。そう言う人を連れて更科堀井を訪ねた時は更科蕎麦と太打ち蕎麦の両方を食べ比べる事を薦めている。そうするとまず甘つゆと辛つゆが運ばれてくる。つゆの違いを口にして待っている内に色の白い更科蕎麦が運ばれてくる。次に色の黒い太打ち蕎麦を食べる。殆どの人がその食感の違いと共にどちらにどのつゆが合うかが分かると言う。そして更科蕎麦の味わいに納得の笑顔を見せてくれる。

    色の白い更科蕎麦は蕎麦生地に柚子等を練り込んだ変わり蕎麦を楽しむこともできる。寛政3年(1792年)創業の芝大門更科布屋には月替わりで楽しめる12種の変わり蕎麦がある。収穫時期の異なる国内産のそば粉を使う生粉打ち蕎麦と変わり蕎麦にて季節も味わえる名店である。

  • 討ち入り蕎麦

    蕎麦店のなかには寺方蕎麦を名乗る店がある。代表的な蕎麦店としては墨田区向島の名店「長浦」があげられる。「長浦」によると慶長年間に妙興寺と言う禅宋の寺にいた恵順と言う禅僧が「蕎麦覚書」と言う15品に及ぶ蕎麦の食法を記録した。「長浦」の先代はこの記録を研究し自店の蕎麦に取り入れたとの事である。この妙興寺は愛知県一宮市にある禅宋の寺で貞治4年(1364年)創建と伝えられる。俗に「尾張に杉田(過ぎた)の妙興寺」と言われた古刹である。禅林の薫り高い一品には妙興寺蕎麦と名付けたとの事である。今は品書きから無くなってしまったが以前は蕎麦雲水、蕎麦般若、等他店にはない品書きも多かった。妙興寺蕎麦は椀盛の蕎麦に白髪大根、煎り胡麻、海苔を添え寺方伝のつけ汁で禅味を表し、蕎麦般若は蕎麦に日本酒を練り込んで蕎麦と酒の香りを楽しむ物である。創業時には町方の蕎麦と一風異なる蕎麦を看板としたようである。

    門前蕎麦とうたっている蕎麦店もありこちらは有名な寺の近くにあり訪れる参拝客向けに店を出して繁盛している。良く知られるところでは信州善光寺周辺や福井県の「永平寺蕎麦」、西東京調布市の「深大寺蕎麦」等がある。

    八王子の高尾山では冬蕎麦と言って参道の各蕎麦店がそろって温かいとろろ蕎麦をメニューに入れている。都内最古の寺と言われる浅草寺界隈も有名な蕎麦店は多い。明治3年創業の浅草「尾張屋」は永井荷風が足しげく通った事でも知られている。天ぷら蕎麦が名物で蕎麦のどんぶりからはみ出した大きなエビの天麩羅が客に受けている。神社の近くにも蕎麦処は多く信州戸隠神社周辺の戸隠蕎麦は全国的にも有名である。文京区の根津権現近くの「夢境庵」は創業30年と歴史は浅いが地元で評判の蕎麦店である。オリジナルの権現蕎麦は京がんもの上に蒲鉾を切って作った鳥居を乗せて提供される。

    年の始めの食べ物が餅を入れた雑煮やおせち料理ならば年の終わりに食べるのが年越し蕎麦である。行く年を偲んで蕎麦をすすり来る年が良い年であるよう願って蕎麦をすする。細く長く縁起にかけた物と言われている。引っ越し蕎麦と言われ引っ越しの挨拶代わりに隣近所に蕎麦を振舞う風習もあった。そばに越して来ました末永くよろしく、と言う気持ちを長く細い蕎麦で表現したようである。残念ながら今では引っ越しに蕎麦を食す事は少なくなったようである。

    以前東京ではこれから討ち入りだから蕎麦を食べに行こうと言った物である。今はそんな粋な人もいなくなったが赤穂浪士が討ち入りの前に蕎麦屋に集まったと言う話にちなんでの事と思われる。大事な商談や交渉事等がある前に討ち入りに成功した赤穂浪士にあやかって蕎麦を食べ話がうまく行くようにと言う意味合いである。12月14日討ち入りの日に食べる蕎麦は討ち入り蕎麦と言われる。討ち入り前、義士が蕎麦屋に集まったと言う話は少し芝居がかっているが義士祭には今も蕎麦が振舞われる。本所松坂町吉良上野介屋敷跡にも近い両国の「玉屋」と言う蕎麦店には討ち入り蕎麦と言う品書きがある。大きながんもどきや大根おろし等が具となっていてそれぞれ大石内蔵助の陣太鼓、雪、夜を表していると言う。

  • おらが蕎麦

    「蕎麦うまし千里いとわず来し我に」と言う句がある。この句が名句なのかどうかは分からないが蕎麦好きならば共感出来る物がある。どこそこの蕎麦を目当てに遥々出かけて行く。たどりついてありついたその蕎麦が噂どおりであれば幸せな気持ちになる。千里とは言わないまでもそんな経験がある人も多いのではないだろうか。この句は料亭「なだ万」を実家に持つ俳人楠本憲吉の句である。以前聞いた話であるが山形の蕎麦組合の連中が東京旅行に出かけた。浅草見物をしたついでに「並木藪」で蕎麦を食べ自分たちの蕎麦への取り組みを考えさせられ山形の蕎麦の向上を図ったと言うのである。現在山形の蕎麦は総じてレベルが高く東京等からわざわざ蕎麦を食べに出かける人も少なくない。全国に蕎麦を食べに出かけてみる価値のある蕎麦処がある。また風情を持った歴史のある店も多くある。北海道釧路の「竹老園東屋総本店」を訪ねた時は東京から遠く離れた北の地に味、風格共に立派な蕎麦屋がある事に驚かされた物である。盛岡の「直利庵」では秋の鮎蕎麦、冬の鱈子天蕎麦も捨てがたいがやはり盛岡名物の椀子蕎麦に挑戦したい。「山形萬盛庵」では紅花蕎麦、ナメコ蕎麦、むき蕎麦も味わいたい。各地の蕎麦店を訪ねると地方の特産品を使った名物蕎麦や独自の特徴ある蕎麦で売っている店も多い。東京でオリジナルの蕎麦を提供する店と言うと「銀座よし田」のコロッケ蕎麦がある。銀座よし田は明治18年創業、「浜町よし田」の伝統を引き継ぐ名店である。コロッケ蕎麦のコロッケはパン粉や衣をまとわずミンチにした鶏肉と山芋、卵を使用したつくねに近い物である。このコロッケ蕎麦を目当てによし田を訪れる常連は少なくない。ある時たまたま銀座よし田の支店を見つけて入ったことがある。メニューも見ずにコロッケ蕎麦を頼んだところ店員の女性が無いと言う。残念売り切れかと思うとメニュー自体に無いと言われた。話を聞くと当初は置いていたのだが殆ど注文が無くメニューから外す事になったと言う。本店の名物も処変わればと驚いた物であるが経営が違うのか等定かな処は分からない。

    蕎麦好きの人の中には太打ちの食べごたえのある蕎麦やこしの強い物を好む人もいる。台東区竜泉の「角萬」では来店客の八割方が「ひやだい」と注文をする。メニューにはそんな品書きは無いが冷やし肉南蛮の大盛りが丼で運ばれてくる。太打ちの味わいのある蕎麦とボリュームで常に客で込みあう人気店である。太打ちの蕎麦では江戸川区の「矢打」もいつも行列の出来る店として地元の支持を受けている。鶯谷駅並びの「公望荘」は錆刀御手打ち御免を看板に、こしのある蕎麦を売り物にしている。「信濃路は(信濃では)月と仏とおらが蕎麦」、そんな句があり一茶の句と言われて旅情を誘う。後の誰かが一茶の句として信州名物をあてはめたと言う説もある。確かに信濃路の風景や名物をうまく言い当てているが風刺のきいた一茶の句とは言い難いようにも思える。ともあれ、おらが蕎麦を探して食べ歩き自分好みの蕎麦店を見つける。それも風流と思うのは食いしん坊ゆえであろうか。

  • 変わり蕎麦

    変わり蕎麦とは簡単に言えば蕎麦切りの中につなぎの目的ではなく香りや味、見た目の色を楽しむ為の物を練りこんだ蕎麦である。創業天明2年(1782年)創業、「小堀屋本店」には黒切り蕎麦と言い昆布を加工して練り込んだオリジナルの真っ黒な蕎麦がある。店舗は水郷佐原の小野川沿いにあり県の有形文化財に指定されている。大阪曽根崎お初天神近くの「瓢亭」では夕霧蕎麦と言う柚子を練り込んだ蕎麦がある。生卵を入れた蕎麦つゆで柚子の風味を味わう名物蕎麦である。名前の由来は近松門左衛門の人形浄瑠璃曽根崎心中の夕霧太夫からと聞く。鹿児島県知覧武家屋敷の近くにある「吹上庵」は地元産の良質な知覧茶を使用した茶蕎麦が評判で抹茶の色と風味が楽しめる。慶応2年(1866年)創業静岡の「安田屋本店」にも茶所静岡の抹茶を練り込んだ茶っきり蕎麦がある。安田屋は毎週新しい変わり蕎麦を提供する企画を行い50種以上の変わり蕎麦を捜索したと聞く。浅草の蕎麦上人と言う店では5色蕎麦と言って五つに区切られた盆に盛られた変わり蕎麦を含めた5種類の蕎麦が食べられる。この店は蕎麦教室も開いており、そこで学んだ生徒が開業した蕎麦店は多い。更科系の蕎麦は店では季節の変わり蕎麦を提供する店が多い。桜エビ、春菊、ふきのとう、桜、木の芽、葉わさび、よもぎ、笹、しそ、菊、くちなし、青柚子。最近ではトマトやカボチャ等の蕎麦切りもあるようだ。近頃は「そばそうめん」と言って見た目は素麺でそば粉を使用した乾麺があり素麺の食感に蕎麦の味わいがあり中元ギフト等に人気がある。これも蕎麦の進化形であろうか面白い試みである。

    蕎麦屋で粋に酒を飲むのも江戸っ子の楽しみであった。板ワサは蒲鉾にワサビ漬をそえて食べる蕎麦店のつまみの代表である。蕎麦のだしを使っただし巻卵や海苔をあぶりながらつまみにする店もある。蕎麦寿司を提供する店もありそんな店ではそれが酒の肴になる。蕎麦を食べる前に飲む酒は蕎麦前とも呼ばれるがこれを台抜きで楽しむのも通とされる。台抜きとは蕎麦抜きの事で天蕎麦台抜きと言えば天麩羅蕎麦の蕎麦が無い物が提供され鴨南台抜きは鴨南蛮の蕎麦抜きである。そば団子やそば汁粉等の甘味を出す店もあり案外フアンも多い。

    夏の納涼床で知られる鴨川沿い「先斗町歌舞練場」並び「有喜屋」は京都の蕎麦の名店である。3代目三嶋吉晴は平成23年に麺技能士として初めて現代の名工に選ばれた。20歳の時から正当な江戸の蕎麦打ち技術を学ぶべく上野藪蕎麦にて修業し日本麺業団体連合会会長も務める店主鵜飼良平の弟子にあたる。東京に花開いた蕎麦文化は江戸、明治の昔から蕎麦にうるさい江戸っ子とそれに応えるべく創意工夫を重ねた蕎麦職人によって育まれた。伝統を重んじながら新しい試みも行われている。収穫されたそば粉をマイナス60度の超低温冷凍庫で保管すると一年中新蕎麦の味と香りが楽しめる。何処にそんな冷凍庫があるのか実は冷凍マグロを保管する冷凍庫が利用される。観賞用か高嶺ルビーなる赤い花を咲かすそばも導入されハイルチンなるルチンを多く含むそばも収穫されるようになった。春そば夏そば秋そばと言うように収穫期の異なる蕎麦も楽しむことも出来る。今後蕎麦の未来は如何な物となるのだろう。

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