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  • 待たされて美味しい?

    を食べに行って料理をせかすのは野暮な話で気の短い江戸っ子でも鰻が焼きあがるまでじっと待つものだ。鰻屋ではそうあるものと年配者から教わった物である。客の顔を見てから鰻を割いて串にさし素焼きにした後、蒸してからタレを付けて焼き上げるとなると時間が掛かるのは道理である。そういう理由で鰻店では待つ事も苦にならないと言いたい処であるがそれにしてもと言う経験も随分ある。

    南千住にある「尾花」は夏場には店の外に並んで店内に上がるまでだいたい1時間は掛かる。日曜日ともなると更に30分の覚悟も必要になる事もあり店内に入ってからも注文をして蒲焼が提供されるまでに座敷で待つこと1時間とあいなる。最近では並んでいる間に注文を受けに来てくれるので提供される時間は以前より早くなってきたようであるがそれ相応の覚悟がいる。

    土用の丑の日になると鰻屋は何処も混むのでわざと翌日に鰻を食べに行ったことがある。もちろん空いているのではないかと算段しての事である。築地で待ち合わせ「宮川本店」へ行った処全くの当て外れで客が行列をしている。結局鰻にありつけたのは並んでから2時間以上過ぎた閉店近くであった。皆同じように考えての行動であったのかは定かでは無い。

    ちなみに宮川を名乗る鰻店は多く「日本橋宮川」「根岸宮川」「小伝馬町宮川」等名前を上げれば切がない。「築地宮川本店」がその本家筋となる「世田谷宮川」「荻窪宮川」など直接に暖簾分けにて創業した店は「築地宮川本店」と共に宮川のれん会を結成している。

    待ち時間の長さなど自慢にも何もならないが名古屋の熱田神宮の近くに元祖櫃まぶしを名乗る「蓬莱軒」がある。何度か訪れている店であるが、ある時ゴールデンウィークのさなかに訪ねた事がある。覚悟はしていたが案の定、店の前には大行列が出来ている。おりしも櫃まぶしブームが起きていて東京でも櫃まぶしと言う鰻の食べ方が紹介されるようになっていた頃である。1時間以上待ってやっと店の前の行列の先頭の方になって来た。もう少しで櫃まぶしにありつけると思いつつ30分ほど待って店に入るとそこには大きな待合室があり中に順番待ちの人がうごめいている。ショックは大きかったが今さらあきらめる分けにも行かずにじっと我慢の子となった。空き切ったお腹に櫃まぶしがおいしかった事は言うまでもないが3時間近く待った疲れもどっとでて鰻を食べて活力を付ける目的が疲労困憊となった事を思い出す。そうまでして鰻を食べたいか自問自答でもあるが鰻好きの辛い処である。

    せかすのは野暮と言っていた昔の人はよほど気が長かったかと言うとそうでも無くもう少し風情のある鰻の食べ方をしていたようである。柴又帝釈天近く江戸川沿いにある「川甚」等の川魚料亭には風呂が用意されていて客は浴衣に着替え、ひと風呂浴び庭を愛でながら座敷でくつろいで鰻の焼けるのを待っていたようである。なんとも優雅な物であり鰻の味も一段とおいしく感じたであろうと想像がつく。残念ながら「川甚」では今は風営法の関係からか風呂に入りながら鰻の焼きあがるのを待つ事は出来ない。「川甚」は夏目漱石、谷崎潤一郎、松本清張などの文学作品の舞台として実名で登場する事でも知られている。

  • 鰻料理は蒲焼につきる?

    新種のウナギと思われる未知の古代ウナギが発見されたとのニュースがあった。発見者はパラオ在住の日本人海洋生物研究家の坂上治朗で発見場所は西大西洋パラオ諸島の水深10数メートルの海底洞窟との事である。9匹捕獲されたが成魚は黒褐色で全長20センチ一般的なウナギ類より脊椎骨の数が少なくずんぐりした体で、独立した尾ひれがあり特異な形態を持つ。現存する約7千万年前のウナギ類最古の化石より原始的な特徴を持ち恐竜時代の姿をとどめているのではないかとされている。

    ウナギは人類誕生の遥か以前から地球上に存在していた事になるが鰻好きの日本人は何時ごろから鰻を食していたのであろうか。鰻が書物に登場した古い文献では和歌に詠まれた記録がある。万葉集で知られる奈良時代の歌人大伴家持が吉田石麻呂に夏痩せに良い鰻を捕って食べてはどうかと言う意味の歌を詠んでいる。痩せぎすであった石麻呂を家持がからかっての歌とも言われているが当時から既に鰻は滋養がある食べ物とされていた事が窺い知れる。しかしその頃鰻はどのように調理されて食べられていたのかは分かっていない。

    現在定番となっている蒲焼は江戸時代中期に関西の調理方をまねて江戸の職人が完成させたと言う説が一般的に言われている。それ以前は鰻を筒状にぶつ切りにして切り口に串を刺して焼いていた物と思われる。その時の姿が水辺にある蒲の穂に似ていたので蒲焼きとなったと言う説が蒲焼の語源であると諸説の中で定説となっている。

    日本において色々な食材がある中で鰻ほど調理法が確立され定番となっている食材も珍しいのではないだろうか。鰻を食べに行こうと誘われた人は間違いなく蒲焼かそれをご飯に乗せた鰻重、鰻丼をイメージするはずである。誘った人ももちろんそれをイメージして、となるが他の食材ではそうはいかない。たとえば牛肉を食べに行こうと言われたらある人は、すき焼き、又ある人はステーキ、焼肉やしゃぶしゃぶ、ローストビーフやビーフシチューを思い浮かべる人もいるかもしれない。誘った人は実はハンバーグだったと言う落ちもあるかもしれない。三重県の志摩に「川八」と言う色々な鰻料理を提供していた旅館があったがやはり最後は蒲焼に限ると言う結論になるらしい。

    さて現在の鰻好きは鰻屋でどのような楽しみ方をするのであろうか。まずは肝焼きにビールで喉を潤しながらウザク(鰻の酢の物)、う巻(蒲焼を芯に巻いた卵焼)の順に箸を運ぶ。次にお銚子と共に運ばれてきた白焼きにワサビを効かせて締めは好みで蒲焼とご飯か鰻重のどちらかを肝吸いと共に。沿えられる香の物はもちろん奈良漬でなければならない。これが鰻好きの思い描く鰻店での定番の食事と言う事になろうか。

    東京下町には鰻より庶民の懐にいくらか優しいドジョウ専門店がある。台東区浅草のドジョウ料理店「飯田屋」では私もそうする事が多いがドジョウ鍋を食べて締めには鰻重と言う客も結構ある。江東区高橋の老舗ドジョウ料理店「いせき」ではドジョウの抜き鍋にすき焼きのように生卵を付けて食し締めに鰻の白焼き丼と言うのが私の定番である。ちなみに抜き鍋とは鰻の蒲焼のように頭を落し開いて骨、内臓など除いたドジョウを用いる鍋である。どちらの店も並みの鰻店ではかなわない鰻を提供していて鰻は専門店でと言う概念が時には崩される事もあり面白い。

  • 落語も鰻も庶民の文化?

    鰻屋の隣に住んでいた男が鰻の蒲焼を焼く匂いをおかずにして白いご飯を毎日食べていた。ある時ケチで知られた鰻屋の主人が乗り込んできて当店の鰻の匂いでご飯を食べているのだから代金を払えと言う。言われた男は平然としてお金をチャリンと投げ出して音だけ持って行け。

    小噺であるが鰻を焼く匂いは香ばしく食欲をそそり、それだけでご飯が食べられるような気がするのも不思議ではない。「江戸前の鰻の話」が出て来る古典落語は多くあり同じ「江戸前の鮨の話」が落語の題材に出てこない事に対して対照的である。落語に出て来る鰻の話をいくつか紹介してみよう。

    「鰻の幇間」は幇間が金のありそうな旦那を見つけて、お得意のよいしょで持ち上げ鰻をご馳走してもらう事になるが、逆に騙されて飲み食いした鰻屋の代金やお土産代まで払わされると言う話。「素人鰻」は演者によって若干話の設定が変わる「鰻屋」と言う落語にもなるが、鰻職人が居なくなって鰻をさばけない店の主人が鰻相手に悪戦苦闘。やっと捕まえた鰻がにょろにょろと手から逃れようとするのを追いかけて店の外に出て行ってしまう。何処へ行くのかと尋ねられ「前へ廻って鰻に聞いてくれ」と言う落ちになる。

    後生鰻は鰻屋がさばこうとする鰻を、通りかかったご隠居が過分の価格で買い取り川に戻して後生をする。それに味を占めた鰻屋が何度も繰り返し鰻をご隠居に売り渡す。仕事をしなくなった鰻屋が、売り渡す鰻が無く代わりに赤ん坊をさばくと言ってご隠居から多額のお金を巻き上げる。ところが、このご隠居がいつもの鰻のつもりで川に赤ん坊を投げ入れてしまうと言うブラックユーモア的な落ちとなる。

    これらの鰻の出て来る話は、江戸っ子が鰻好きであった事は想像できるが、残念ながら美味しそうな鰻は登場しないようである。当時から庶民には高根の花であったのか落語「たがや」では、主人公の「たがや」が侍相手に「二本差が怖くて町を歩けるか、気の利いた鰻の蒲焼なら串を3本4本も刺してらぁ、そんな鰻食ったこたぁねぇだろう…おれも食った事が無い」と情けないたんかを切る。「子別れ」でも真人間となった熊五郎が自分の遊興癖で分かれる事になった息子に出会い明日鰻屋で鰻をご馳走しようと約束をする場面がある。真人間になって息子に鰻を食べさせる事が出来るまでになったと言う事を現している。

    鰻好きとしては名人文楽や圓生、志ん生に落語の中で美味しそうに鰻を食べる処を演じてほしかったと思うのであるが、残念ながらそのような場面は話の中に存在しない。落語家の中でも志ん生は鰻好きで知られていたがその息子の志ん朝は鰻を食べなかったと聞いた事がある。志ん朝が惜しまれて世を去った後に実の姉がそのことに触れた話を記した書物を読んだ。それによると実は志ん朝は鰻が大好物であったが、落語が上手くなるように誓いを立てて鰻断ちをしていたと言うのである。稀代の名人であった志ん朝は天から授かった素質を持っていながら稽古に稽古を重ねた努力の人であったと分かり感慨深い。

    過日麹町の老舗鰻店「秋本」で鰻を食べていると笑点でお馴染みの好楽師匠が一門と思われる落語家を引き連れて入って来て楽しそうに談笑しながら鰻を食べていた。落語家ならずとも鰻を食べると笑顔になれるのは鰻好きの特権なのだろうか。

  • 鰻料理は国際色豊か?

    イギリスに嫁いでいる同い年のいとこがいて、イギリス人のご亭主との間に娘1人と息子2人の子供がいる。ある時叔母の家を訪ねるとその息子2人が夏休みを利用して遊びに来ており、訪ねた私を連れだって鰻を食べに行くことになった。ところが、このイギリス育ちの兄弟は鰻を食べる事が出来ずに鳥丼を食べると言う。叔母の話によると以前日本で鰻を食べさせたところ、兄の方は食わず嫌いであったが弟は食べて美味しかったようであった。いたずら好きの兄が鰻の蒲焼をヘビだと言って騒いだので、弟も食べなくなってしまったとの話である。

    イギリスでも昔はテムズ川のウナギを細かくしてパイの具材としていた事もあるようだが、今は主流のビーフパイと名物キドニーパイと言う事になるらしい。私の知るところでは、ドイツあたりではウナギの燻製を食べるし、同じヨーロッパでもオランダ・ベルギーではぶつ切りにして煮込んだウナギ料理は名物料理でもある。ギリシャではアンギラスと言うウナギの稚魚をたっぷりのオリーブオイルでソテーして食べるが、近頃では高級料理と成ってしまい庶民の口に入らなく成っているようである。美食の国フランスでは、ウナギ料理の種類も多いがワインで煮込むマトロットと言われる料理が知られている。

    日本に来て初めてウナギを食べて好物となった外人さんも多いらしい。浅草の老舗鰻店「色川」の主人によると、外人客も結構訪れるが面白いのは鰻重を食べる時に上の蒲焼だけを食べてしまい、次に残ったタレのしみたご飯だけを食べるような食べ方をする方が多いとの事である。日本人のようにご飯に鰻をのせて一緒に口に運ぶような食べ方は思いつかないのかもしれない。

    上野池之端の「亀や」と言う鰻店で食事をしていると、隣の席に外人さんが1人で入って来て鰻重とグリーンティを頼んだ。店には緑茶が無くほうじ茶となる旨を中居さんが説明しようとするが、日本語が理解できない外人客が何度も注文をし直すがらちが明かない。緑茶くらい出してあげられないのかと横で気をもんでも見たが、店にはあいにく緑茶を置いて無いようで最後まで緑茶は提供されなかった。その外人にとっては鰻重とグリーンティは日本の味としてこだわりがあったのかもしれない。

    神楽坂の「たつみや」と言う老舗鰻店の前で、若い娘さんが2人で何やら携帯電話をかざして写真を写すようなそぶりをしている。私たちが店に入ると後から入って来て隣のテーブルに座った。写真を取っていたのではなく、携帯サイトの画面で店の外観写真を見て目的の店かどうかを2人で確かめ合っていたらしい。日本のお嬢さんと思っていたが、どうやら日本語が分からないようで注文の時も携帯画面で料理を確認しながらの注文であった。料理を待っている間にハングル語のガイドブックを出して見だしたので韓国の方と察しがついた。日本へ旅行したら、日本料理の鰻重を是非食べるようにと言われて来たのだろうかと勝手に想像をした。

    思いだしたのはしばらく前までは韓国へ旅行すると、ウナギの革で作られた財布がお土産店で良く売られていた事である。残念ながら韓国を訪れてウナギ料理を食べた記憶は無いのだが、ウナギの革を使った製品が沢山あると言う事は鰻を食べる習慣もあるのではと思われる。しかし韓国の方が日本を訪れてわざわざ鰻重を食べると言う事は、蒲焼のような料理は無いのだろうか。謎を解明すべく今度韓国を訪ねた時は是非ウナギ料理を探してみたい物である。

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