小堺化学工業株式会社 小堺化学工業株式会社
トップ ニュース 会社情報 アクセス 採用情報 リンク お問い合わせ

トップ > 会社情報 > 冊子
社長挨拶
会社概要
沿革
業務案内
取扱商品
コラム・著書
冊子紹介
  • ちゃんこ鍋

    東京両国は江戸相撲発祥の地である。東京において大相撲の本場所の開催をする国技館は一時浅草蔵前にあった時期もあるが今は両国のシンボルとなっている。

    相撲の町両国にはちゃんこ鍋の店が多くある。本来「ちゃんこ」とは相撲取りが食べる食事を表す呼び方で鍋以外の料理でも相撲部屋で作られ部屋の力士がそろって食べればハンバーグも唐揚げも「ちゃんこ」と言う事になるらしい。角界以外の一般人のイメージでは相撲部屋で力士が食べている鍋料理と言う事になる。

    相撲部屋で作られる「ちゃんこ鍋」は大勢の力士の食欲を満たす料理としては手軽に早く作れると言う利点に加え肉、魚、野菜等栄養のあるものをバランスよく食べられる。稽古をしながら食べて体を大きくし体力を付けて行くにはもってこいの料理と言える。部屋毎に自慢の鍋があり、一般的にはその部屋の親方の出身地方の郷土料理等にちなむ物が多いようである。ちゃんこ料理店は力士が引退後に店を構える事が多く、所属していた部屋で食べられていた「ちゃんこ鍋」がその店の看板メニューとなる。中には現役時代相撲はあまり強くなかったが、ちゃんこ料理の腕を磨いて店を出し成功している元力士もいる。両国で評判の良いちゃんこ店を上げてみることにする。

    「ちゃんこ巴潟」:褐色の弾丸と言われた元小結巴潟の9代友綱親方が開いた店。ちゃんこ鍋の種類によって太刀山、国見山、矢箸山、巴潟と部屋所縁の力士の名前が付けられている。

    「割烹かりや」:創業者が元出羽海部屋の力士で出羽海部屋伝統のちゃんこ鍋が看板の老舗。

    「ちゃんこ川崎」:大正から昭和初期に活躍した横手山が開いたちゃんこ店。ソップ(鶏ガラ)炊きのちゃんこ鍋が評判の有名店。

    「割烹吉葉」:横綱吉葉山が興した宮城野部屋を建物そのままにちゃんこ店として利用し日によっては相撲甚句を聞く事もできる。実際に使っていた稽古土俵もあり相撲部屋の雰囲気を味わいながら食事ができる。

    「ちゃんこ料理霧島」:元大関霧島の陸奥親方が開いた店。醤油、味噌の他キムチ鍋もある。

    「相撲茶屋寺尾」:井筒部屋三兄弟の次男元十両の鶴嶺山の店。父親は鶴ヶ峰、長男は逆鉾、三男は寺尾と言えば相撲フアンには懐かしい。

    これらちゃんこ店は関取衆も多く利用しており現役力士の姿も良く見かける。ちなみに「相撲茶屋寺尾」では日本相撲協会理事長当時の放駒親方一家を見かけた事がある。ちゃんこ料理店では大相撲の番付を客の手土産に持たせてくれる店も多くこれも相撲ファンにとってはうれしい物である。力士に出会うとその体格の良さに圧倒されるが大きく強くなれるのも「ちゃんこ鍋」のおかげと言えるのだろうか。それはさておき贔屓力士の話し等相撲談義をしながら食べる「ちゃんこ鍋」は格別の物があるような気がする。角界も最近は外人力士全盛となっているが、相撲の町両国にも引退後郷土の味として「バーベキュー」や「ジンギスカン」「モンゴル料理店」等を出店する外人力士も出てくるのだろうか。

  • 鮟 鱇 あんこう

    江戸時代に江戸で当時食べられていた最も美味しい物を表す「三鳥二魚」と言う言葉がある。当時珍重された5種類の食べ物(食材)が美味しい物の代表選手と言う事になるらしい。

    三鳥とは「ツル」「ヒバリ」「バン」の野鳥。二魚とは「タイ」と「アンコウ」の魚を指した物であったとされる。この事からも江戸では色々な食材が食べられ、当時の江戸の人々が非常にグルメであった事が窺い知れる。もちろん三鳥は保護されるべき野鳥であり「ツル」「ヒバリ」「バン」は現代では食用にすることはまかりなら無い。

    「鮟鱇」は関東のフグとも言われ見た目はグロテスクな深海魚であるが骨以外余す所なく食べられる非常に美味な魚である。茨城県の大洗近辺では漁師たちが船の上で食べたとされる「どぶ汁」と呼ばれ野菜と「鮟鱇」から出る水分に肝を溶かして煮込む古くからの料理法が伝わっている。

    「鮟鱇」の種類は20数種有るといわれている。わが国では主に「キアンコウ(本鮟鱇)」と「クツアンコウ」が食されるがメスに比べてオスは魚体が極めて小さく、通常食べられるのはメスの「鮟鱇」である。漁期の関係もあるが肝の大きくなる冬場が旬となる。

    表面がヌルヌルしてまな板の上では捌きにくいので吊り下げて解体する「吊るし切り」が伝統的な捌き方となる。又捌いた部位を七つに分けこれを「鮟鱇の七つ道具」と呼ぶ。地方による違いはあるようだが「柳肉(身の部分)」「皮」「肝」「アゴ肉」「ヒレ(とも)」「卵巣(ぬの)」「胃(水袋)」の7つの部位を俗に七つ道具と呼ぶようである。それぞれの部位毎に異なる味や食感を味わう事が出来る。美食の国フランスでも「鮟鱇」は良く食べられるが主に大身の部分が食され「フォアグラ」より美味しいと言われる肝も含めて他の部分を食べる事は無いようである。

    「鮟鱇」の肝は美味であるばかりでなく他の食品からは摂取しにくいビタミンDが多く含まれている。ビタミンDがカルシウムの吸収に関与し骨や歯への沈着を助ける事は周知のとおりである。

    関東で「鮟鱇」の漁獲量が多いのは茨城県で県内では鮟鱇料理が名物となっている。水戸の料亭山口楼、郷土料理の山翠などが評判であるが大洗海岸や五浦海岸にも鮟鱇料理を売り物とする旅館や飲食店が多くある。東京にある唯一の鮟鱇料理専門店は神田連雀町の「いせ源」である。天保元年の創業とされるが創業当時はドジョウ屋であり、その後各種鍋料理を提供しその中で評判の良かった「鮟鱇鍋」を中心に鮟鱇料理専門の店となったと伝わっている。昭和初期の建物は東京都歴史建造物にも指定され風情が有る。「秘伝の割りしたで煮立てる鮟鱇鍋」「唐揚げ」「肝刺」「ともあえ」等の鮟鱇料理が楽しめる。大振りの良い鮟鱇が入手されれば「鮟鱇の刺身」も提供される。寒い日に鍋の締めに食べる「おじや」も格別である。

  • トンカツ

    江戸時代から伝わるわけではないが明治以降東京人に指示され続けている食品にトンカツがある。トンカツは日本人が工夫して作られたとされその意味では和製洋食と言うジャンルになるのだろうか。豚肉にパン粉を付けてフライするコートレットにヒントを得て天麩羅のように油の中で泳がせるように揚げたのがトンカツの始まりと言われている。

    「喜劇とんかつ一代」と言う映画の中で森繁久弥演じる主人公がトンカツの始まりはポンチ軒と話すシーンがある。このトンカツ発祥の店が東京上野にあったポンチ軒と言うのが広く伝わる話でありそのせいか上野にはトンカツの美味しい店がそろっている。その中でも、「本家ぽん多」「双葉」「蓬莱屋」が特に有名でトンカツ御三家と呼ばれている。これに「井泉本店」を加えて四天王と言う人もいるらしい。

    「本家ぽん多」はロース肉の脂身を取り除いた後肉をたたいて柔らかくして揚げる。「双葉」は厚切りのロースカツで食べ応えがある。「蓬莱屋」はヒレカツの元祖とも言われ大きなヒレカツが名物である。小津安二郎の名作映画「さんまの味」に登場するトンカツ店はこの店と私は思っている。「井泉本店」はカツサンドを最初に作った店と言われている。

    かつてコロッケが庶民のおかずの定番だった頃トンカツは憧れの食べ物であった。子供の頃揚げたてにたっぷりのソースを掛け山盛りのキャベツと共に食べるトンカツは最高のご馳走だったように思う。

    上野の隣浅草にもトンカツの名店は多い。元祖焼きカツの「桃太郎」。東京で最も古くヒレカツを作ったと言われる「きた八」。肉と肉の間に色々な物を剪んで揚げる変わりカツの「カツ吉」。多くのフアンを持つ「ゆたか」や「杉田」。今は閉店してしまったが映画「男はつらいよ」のロケにも使われたナタ切りトンカツの店も懐かしい。

    その他都内の有名店は、目黒の「とん喜」、新宿の「王ろじ」、名を上げればきりが無い程である。最近は薄くスライスした豚肉を重ねてパン粉を付け揚げる店もある。鹿児島産黒豚、東京Xや三元豚等銘柄豚を使ってのトンカツも評判が良いようである。トンカツ専門店ではないが銀座にある「レンガ亭」はポークカツレツの元祖として知られる洋食店である。銀座と言う土地柄ハイカラな洋食店として知られている同店だが実は3階には座敷がありそこで座ってカツレツを食べる常連客も多い。

    カツを使ったドンブリ物としてカツ丼も日本人に愛される国民食である。早稲田にある「三朝庵」と言う蕎麦店がキャンセル等で冷めてしまったカツを蕎麦汁で煮て温め卵を溶いて丼にして出したところ評判を呼んだのが始まりとされる。そんな経緯がある為かカツ丼はトンカツ専門店のメニューでもあり蕎麦屋のメニューの定番でもある面白い食べ物と言える。カツ専門店のカツ丼としては銀座の「梅林」や新橋の「燕楽」等が美味しい店として知られている。

    取調室で刑事が腹は空いてないかと出前のカツ丼を食べさせてあげると犯人のかたくなな心が和らぎ思わず犯行を自供してしまう。そんな話は昔の刑事ドラマにありがちなシーンであり今もバラエティ番組のコントなどにもよく登場する。もちろんフィクションであり、視聴者はあり得ない話と思っていても変に納得させられてしまう。カツ丼と言う食べ物の持つ不思議な魅力なのかもしれない。
    ※上野の双葉は廃業となっています。

  • 洋 食

    「トンカツ」の話の冒頭で和製洋食と言う言葉を使ったが、我が国で言う洋食とは当初は西洋料理を指していたと思われる。しかし現実にはオムライスやスパゲッティナポリタン等どこの国へ行っても日本の洋食にあたるこれらの料理は存在しない。「トンカツ」と同じように食の歴史の中で生まれた我が国オリジナルの料理であり、その意味では今日言われる洋食は日本食のジャンルと言える。

    明治以降に我が国で考案された料理であれば当然発祥とされる店や、考案者とされる人がいる。記録等定かでない部分はあるが一般的に伝わる話を紹介する。

    「スパゲッティナポリタン」はナポリ生まれではなく横浜のホテルニューグランドが発祥とされる。当時の料理長が進駐軍のコックが作るトマトベースのスパゲッティにヒントを得てケチャップを使ったスパゲッティを考案したのが始まりらしい。

    「ハヤシライス」はハッシュドビーフにヒントを得て考案されハッシュドライスから「ハヤシライス」とされたと言う説がある。もう一つ書店として有名な丸善の創業者林有的が名の由来と言われる「ハヤシ(林)ライス」説がある。林有的はヘボン式ローマ字で知られ医者であるヘボン博士に師事した。博士より当時不足していた医学書、薬学書を始めとした洋書と薬品を輸入するよう進められ西洋貿易を行い西洋料理にも通じていたとして知られる。

    ケッチャップライスを薄焼き卵で包んだ「オムライス」は大阪の北極星と言う店が発祥と言われている。

    東京の創業が古い洋食店の中には上野の「精養軒」、日比谷の「松本楼」等の大型店がありそこでコックの修業をした人たちが各地で店を開業した。それらの店が地域の洋食店として洋食の普及に貢献する事となる。

    天皇の料理番と言われた秋山徳蔵も料理長を務めていた事のある東洋軒は既に無いがその支店であった三重県津市の東洋軒が伝統の味を守っている。日本人になじみのない西洋料理を日本人向けにアレンジした洋食は味だけではなく提供する店構えも和の要素を取り入れている。今は少なくなってしまったが昭和の頃までは座敷で畳に座って食べる洋食屋があちこちに結構あった。もちろんトンカツ屋は座敷に座って箸で食べるスタイルが当たり前のように思い浮かぶ。小堺化学工業竃{社のある人形町には座敷で食べる洋食屋として「芳味亭」「来福軒」等が今も変わらぬスタイルで繁盛している。

    2011年創業80年を迎えた日本橋の「たいめいけん」は、お料理110番として一般の人から料理に対する質問に親切に答え洋食の普及に努めて来た。年配者から色々と食べたいが沢山の量は食べられないと話を聞き小皿に色々な種類の洋食を少量盛った「小皿料理」を提供して今も店の看板料理となっている。伊丹十三監督の映画「タンポポ」ではケチヤップライスにオムレツを乗せてそれをナイフで開いてトロトロのオムライスとする「タンポポオムライス」が考案され店の名物となる。洋食店なのにラーメンもメニューに加えこちらも評判を得ている。アイディアを持って新しい試みを成功させる事でも知られている。

    西洋料理を日本風にアレンジして日本人の物と成った洋食は歴史を経てクラッシックとなったがこれからも進化を続けて行くのだろうか。

プライバシーポリシー サイトマップ お問い合わせ
Copyright (C) 2008 KOSAKAI CHEMICAL INDUSTRY. All rights reserved.