小堺化学工業株式会社 小堺化学工業株式会社
トップ ニュース 会社情報 アクセス 採用情報 リンク お問い合わせ

トップ > 会社情報 > 冊子
社長挨拶
会社概要
沿革
業務案内
取扱商品
コラム・著書
冊子紹介
  • 馬 肉

    馬肉と言うと熊本や信州の特産品と思われる方は少なくないであろう。確かに東京などで一般的に食べる事は無い。そう思いがちであるが東京下町には馬肉を食べる文化が今でも残っている。咲いた桜になぜ駒つなぐ、駒が勇めば花が散る。江戸時代の初期に諸国の民謡を収集した「山家鳥虫歌」と言う本の中で伊勢の民謡として伝えられている。今ではこの民謡の曲がどのような曲であったか良く分からない。いつの頃からかお座敷等で「どどいつ」として歌われるようになり世に広まったようである。三戸部稲造が「どどいつ」のこの歌詞を大変気に入っていたと言う逸話も伝わる。馬肉の事を桜肉と言うのはこの歌詞に由来すると聞いた事がある。馬肉の切り身が桜の花びらのように見えるので桜肉と言う説もあるようだ。定かな事は分からないが前者の方が江戸っ子の粋が感じられるように思える。

    馬肉の鍋を桜鍋と呼ぶ。桜鍋は幕末から明治の頃には江戸庶民の味となる。遊郭のあった吉原近辺には桜鍋の店が多くあった。馬肉を食べて馬力を付け吉原に繰り出そうと言う客で賑わったようである。界隈の肉店では今も牛肉や豚肉と共に馬肉を取り扱う店がある。馬の油も古来より火傷等の良薬とされ東京の下町で販売されている。

    吉原大門があった土手通りには創業100年を超える桜鍋屋「中江」があり名物の桜鍋、馬肉を刺身のように生で食べる馬刺しの他最近は新しい馬肉のメニューにも挑戦し繁盛している。11月の酉の日に酉の市で買い求めた縁起物の熊手を担いだ客で賑わう光景は風物詩でもある。

    並びに「あつみや」と言う店がありこちらも桜鍋を看板としている。以前この店の提供するマッチ箱に「冬霧をまとい来にけり桜鍋」と言う句が書かれていた。寒い冬の夜にコートの襟を立てやってきた客が桜鍋で暖を取るそんな情景が目に浮かぶようである。

    桜鍋はすき焼きのように鉄鍋を使い店に伝わる秘伝の味噌と割したでネギや白瀧等と共に煮込まれる。すき焼き同様溶き卵を付けて食べる。馬刺しは薄く切られた生の馬肉を生姜醤油で食べる。通の人は副えられた分葱や細ネギを肉で巻いて口に運ぶ。肉の部位は刺身用と鍋用と用途別に吟味されている。最近は馬肉でも牛肉同様サシが入った物も好まれている。前出の老舗桜鍋屋の主人が馬つながりと言う事か競馬の競走馬を所有していた。それを知っている口の悪い客が競走馬で稼がせて走れなくなったら肉にして儲けている。と冗談を言い主人が競走馬は固くて食べられないと弁解をしていたやり取りを思い出す。もちろん店で出す馬肉は食用として育てられた良質の肉である事は言うまでもない。

    他に東京で有名な桜鍋屋には深川森下の「みの家」ケトバシ屋として知られる浅草の「福の家」がある。ケトバシとは馬が蹴飛ばすことからそう呼ばれ、こちらも馬肉の俗称の事である。桜肉が少し気取った粋な表現に対して昔の職人たちが使った庶民的な俗称と取れなくもない。

  • もんじゃ焼

    お好み焼きと言えば大阪を代表として関西のイメージが強い。たこ焼きとなればなおさらである。それに対して東京はと言うと「もんじゃ焼き」と言う事に成るらしい。東京月島にはもんじゃストリート等もんじゃ焼き店が多数ありもんじゃタウンとして知られている。定かではないがもんじゃ焼きは鉄板で焼く時に文字を書きながら食べた文字焼きが語源とされている。いずれにしても「もんじゃ焼き」と言う名称が定着したのはそう古い話ではないように思う。同じ東京の下町である足立区の北千住や荒川区の日暮里、町屋等では「もんじゃ」ではなく「ぼった」と呼ばれていたように記憶している。現在の「もんじゃ焼き」より水に溶かれた小麦粉の量がやや多く鉄板にボッタ、ボッタとたれる印象からそう呼ばれていたのではないかと想像できる。

    昭和30年代の下町には駄菓子屋が多くあり「もんじゃ」はその駄菓子屋の奥に鉄板が置かれそこで提供されていた子供向けの食べ物であった。台東区の浅草では「もんじゃ焼き」ではなく「みず焼き」と呼ばれた。「もんじゃ」は野菜や具材が水溶きの小麦粉と一緒の容器で提供される。「みず焼き」は野菜などの具材が皿に盛って提供され、水溶きの小麦粉は別の容器で提供された。それ以外はどちらも同じ物と記憶をしている。

    まず皿の野菜や具材を鉄板で軽く炒め土手を作り、そこに別容器の水溶き小麦粉に好みでソースや醤油を加え焼いて行く。鉄板の上で最後は「もんじゃ焼き」と同様に仕上がる。ハガシと言われる金属性のヘラを使って食べる処も全く同じである。時が経ち「みず焼き」と言う呼び名の記憶が定かで無いような気もしてきていたが、浅草で活動する女剣劇の浅香光代があるテレビ番組で同じことを言っていたので間違い無さそうである。

    元祖「もんじゃ焼き」を名乗る中央区月島に対し荒川区町屋地区等が異論を唱える向きもあり又東京随一の繁華街であった浅草が発祥と言う説もあるらしい。諸説もあるがやはり「もんじゃ焼き」の名を全国区にした月島の努力とネームバリュームに軍配が上がるように思える。現在月島はもんじゃタウンとしてもんじゃ焼きを食べに来る国内外の人々で賑わっている。

    東京の下町にはソースメーカーが多くあった事も「お好み焼き」や「もんじゃ焼き」業界の発展に少なからず影響を及ぼしたと思われる。江東区の「山屋食品」「白鷹ソース」台東区の「鈴木食品」足立区の「佐野食品」江戸川区の「マルイチフーズ」文京区の「ユニオンソース」等がソースやタレ等の味を競っている。東京の下町で生まれた「もんじゃ焼き」をこれもまた下町で育まれた美味しいソースが引き立てる。家族や友人と鉄板を囲んで和気あいあいと食べれば互いの絆が深まるような気がする。もんじゃ焼きはその名の響きと共になぜか懐かしい庶民の味である。

  • 中華そば - その1 -

    横浜ラーメン博物館によると日本で初めてラーメンを食べたのは水戸黄門と言う事に成るらしい。当時中国から招いた儒学者が中華そばを作って水戸光圀に提供したとの事である。今や日本の国民食とも言えるラーメンを時代劇でお馴染みの国民的英雄が初めて食したと言う事は話として面白い。

    日本全国にご当地ラーメンと言う物があり処によっては町おこしに利用して成功を収めている地方もある。東京人としては意識もした事も無いが東京にも東京ラーメンと言われるジャンルがあると言う。同博物館によると東京ラーメンの元祖は浅草にあった来々軒とある。館内には来々軒の店舗の復元展示もある。醤油味の澄んだスープで当時シナチクと言われた煮込んだメンマやチャーシュウ(焼き豚)等が使われていたらしい。私の記憶の中のラーメンは鶏ガラで取った澄んだスープの醤油ベース。刻みネギを振り、具としては豚の腿肉か肩の部分を使って焼き上げたふちの赤いチャーシュウとメンマ。ほうれん草の緑と浅草海苔の黒に白地に赤く渦を巻いたナルトが彩りを添えた物であった。それに少し風邪をひいたような粉胡椒をかけて食べるのが通常であった。それがラーメンだと思っていた少年時代に札幌ラーメンなるものが東京にも進出して来た。太麺にモヤシをたっぷりスープは醤油の他味噌味や塩味でコーンやバターをトッピング。ラーメンによりカルチャーショックを受けたような気がしたものである。少し遅れて九州から豚骨ラーメンがやってきた。当初は臭みを消す意味で生姜汁をたらす、あるいは刻み生姜を乗せて食べた物である。今ではその豚骨の臭いを気にする人もいないようである。博多ラーメンは細麺で替え玉をする面白さもあって物珍しかった。現在東京のラーメンはそれぞれの良い処を取って進化している。ラーメンに使う焼き豚もバラ肉を使い味付けた醤油タレで煮込む煮豚のタイプが主流である。

    つけ麺は昭和36年創業の池袋大勝軒が発祥と言うのが定説である。異論を唱える気など全くないが私はそれ以前に東京の浅草で「あつもり」と言うラーメンを食べていた記憶がある。少し濃いラーメンスープを蕎麦猪口に注いでゆで上げたラーメンをもり蕎麦のように付けて食べる物であった。今のつけ麺よりさっぱりしていてベースは東京ラーメンであったと思われる。どこかで一杯飲んだ後にふらっと立ち寄ってと、今でいう締めのラーメン風に食べて行く客も多かったようである。詳しくは知らないがラーメン好きの中では「あつもり」と言うジャンルは今も存在するらしい。つけ麺は日本蕎麦のもり蕎麦をヒントに考案したと言う意味合いの事を大勝軒の山岸一雄が言っていたようである。大勝軒のつけ麺が支持されるのはやはりその味とボリュームにあると思われる。マルちゃんブランドで知られる東洋水産株式会社はこの大勝軒の味を家庭でも食べられるように山岸一雄プロデュースのつけ麺を製造販売して評判を得ている。

    最近は来日したらラーメンを食べるのが楽しみと言う中国の方が多いと聞く。ラーメンは中華料理の枠を超えたジャンルの中華そばなのかもしれない。

  • 中華そば - その2 -

    ラーメン店や中華料理店にはタンメンと言うメニューがある。たっぷりの野菜をのせた塩味スープの中華麺である。あっさり味で野菜不足も補えるので人気がありタンメンを看板にしているラーメン店もある。

    坦々麺は胡麻の風味と唐辛子の辛味がありファンも多い。神田にある白蘭と言う店の坦々麺は練り胡麻等を使わずに醤油ベースのラーメン風のスープにとろみを付け刻み唐辛子をたっぷり入れた激辛麺で人気がある。客の殆どがこの坦々麺目あてであり若い女性が汗を流しながら食べていたりする。本場中国や香港等の坦々麺は練り胡麻をたっぷり使い辛味はあまりなく日本で言う汁なし坦々麺が殆どである。

    サンマ―麺と言われ昔から神奈川あたりで食べられていたラーメンがある。もやしを炒めて片栗粉でとろみを付けラーメンの上に乗せた物である。中華街の名店聘珍樓や伊勢佐木町の玉泉亭が元祖との説がある。

    最近はやりの中華麺には酸辣湯麺がある。酸辣湯麺はアルカリの中華麺を酢の効いたスープで食べる中華麺で酢のブームと相まってファンも多い。決め手は酢にあり鹿児島の老舗黒酢メーカーが経営する中華店の酸辣湯麺も評判が良い。

    夏が近づくと冷やし中華始めましたと思いだしたようにラーメン店の壁に貼り出される。客の方もそれを見て、そうかそう言う季節になったかと納得する物である。風鈴、団扇、金魚、かき氷、花火、素麺そして冷やし中華。日本の夏の風物詩でもある。冷やし中華は神田神保町の揚子江菜館が発祥の店とされるが宮城県仙台の龍亭が元祖とも言われている。どちらも元祖と言われるだけの事はある美味しい冷やし中華を提供している。最近はゴマダレの冷やし中華も評判が良く酢醤油のタイプとファン層が分かれるらしい。暑い夏を乗り切るには酢の効いた冷やし中華は食欲をそそる。千切りのキュウリやハム、焼き豚や錦糸卵、ワカメやトマト等も飾られ栄養バランスも良く夏バテ対策にも良いと思われる。東洋水産株式会社は冷やし中華の即席麺を発売しヒット商品となった。保存も効き家庭で簡単に冷やし中華が食べられる事で評判を呼んだようである。東北の人は夏の暑さに弱いのか冷やし麺を好むらしい。仙台の冷やし中華、盛岡冷麺、山形の冷やしラーメン等がある。

    四川料理の名店「天外天」では冷やし中華は裏メニュー的な存在で冬でも頼めば提供してくれる。茹でて冷やしたソバに冷菜のクラゲやチャーシュー、ハムや蒸し鶏、キュウリなどの千切りとハマナス酒に漬けたミニトマト等を2種〜3種のタレに付けて食べる冷やし中華である。私の場合は季節を問わず料理の最後をこの冷やし中華で締めるのが常である。

    最近は外国の方が持っている日本のガイドブックには必ずラーメン店が載っている。日本へ行ったら是非ラーメンを食べようと思っている外国人は多いようである。我々が気付かない内にラーメンや冷やし中華、汁がたっぷりの坦々麺等が日本を代表する麺類になってしまっているのかもしれない。いつの間にか日本人は中華麺も日本風にアレンジして日本食として日本文化としてしまったようである。

プライバシーポリシー サイトマップ お問い合わせ
Copyright (C) 2008 KOSAKAI CHEMICAL INDUSTRY. All rights reserved.