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  • くじら

    昔から日本はクジラを水産資源として余すところなく利用していた。ヒゲクジラのヒゲも以前は釣り道具屋の店頭で良く売られていた物である。ゼンマイの要領でからくり時計等にも利用されていたらしい。

    マッコウクジラの名前の由来はその腸内で製造される龍涎香に由来されると言う。漢字で書けば抹香鯨と言う事に成るのだろうか。龍涎香は英名ではアンバーグリスと言われる。小説「白鯨」の中でも捕鯨したマッコウクジラから龍涎香を取り出す処が章題アンバーグリスとして描かれている。中国では古来深海に潜む龍が眠りながら芳香のある涎を流しそれが固まった物と言い伝えられている。非常に貴重で高価な物で2008年に海岸に打ち上げられた物には6700万の値が付いたとの噂もある。中国は清朝時代に龍涎香と引き換えにマカオをポルトガルに渡したと言うような話までまことしやかに伝わっている。龍涎香はマッコウクジラが捕食したイカの口の部分、いわゆるカラストンビが胃や腸に蓄積して出来る結石の様な物らしい。捕鯨が行われる以前はこれが体外に出て海を漂い海岸に漂着して人の手に渡り香料として利用された。

    食用としての鯨は学校給食の竜田揚げに代表されるように戦後の日本にとっては良質のタンパク源とされ価格も安く庶民の見方であった。ゲイカツと言われるクジラカツは高価なトンカツに対して夕食のおかずとして家計を助けた物である。鯨の大和煮やカレー煮の缶詰も良く食べられた。町に多くあった乾物屋さんには鯨ベーコンが必ず売られていた物である。うすねと呼ばれる腹側の脂肪のある部分を加工したものであるが豚肉のベーコンに比べ安かったので良く食べられた。現在では逆に貴重な食べ物と成り高級珍味の仲間入りをしている。

    鯨料理専門店としては渋谷にある「くじら屋」が良く知られている。この店では鯨肉をゲイジスカンと言ってジンギスカン風に食べさせた。肉の他にも鯨のサエズリ(舌)百ひろ(小腸)皮の部分、さらし鯨(尾羽、尾ヒレ)等色々な部分をそれぞれの調理法で提供している。大阪の「徳や」では鯨とみず菜を鍋にしたはりはり鍋が有名である。

    鯨肉は刺身にしても美味しい事で知られている。鯨の刺身も種類や各部分によって味が異なり赤身の他腹の部分は霜降りで鹿の子と言い尾のみはとろのようなところである。江戸時代では鯨はその泳ぐ姿から大きな魚と考えられていて今のように魚類と哺乳類として分けて考えられていたのでは無いと思われる。

    和歌山県太地は昔から鯨の町として知られクジラとのかかわりを知る博物館もある。千葉県和田ではタレと呼ばれるツチクジラの肉を調味液に漬け込み味付けして乾燥させた物が地元の産物となっている。松浦漬は蕪骨と呼ばれる鯨の上あごの軟骨を粕漬けにした物で佐賀県の名産品である。長崎県民は鯨をよく食べる県民として知られていて鯨を使った郷土料理も多い。高知県でもよさこい節に潮吹く魚が泳ぎよると歌われるように鯨とのなじみが深くよく食べるようである。

    長崎料理の吉宋、土佐料理の祢保希は東京にも支店があり共に鯨料理を提供している。新宿にある樽一も鯨料理を肴に酒を楽しむ人で賑わっている。

  • たまご

    麻布に本店のある「分とく山」の野崎洋光総料理長に会社(小堺化学工業)で講演をして頂いた事がある。江戸料理の話であったがその中で卵焼きの話があり京都は当時高価であった鶏卵をだしで伸ばしてだし巻卵と言う料理を作った。江戸では高価な鶏卵に更に貴重な砂糖をたっぷり加えて甘い卵焼きを作った。そんな両者の違いを話されていた事が印象に残っている。江戸っ子は見栄っ張りだったのかもしれないが成るほど卵焼き一つにしても考え方の違いはあるようだ。確かに私が子供の頃に祖母が作ってくれた卵焼きは表面が黒く焦げるほど砂糖がたっぷりであった。甘い卵焼きが弁当のおかずとしては妙に美味しかったように思える。

    東京も色々な地方から人口が流入して卵焼きも各家庭で違ってきているようである。きんとんや煮豆など甘いおかずは好まれない傾向にあり一般家庭も砂糖を入れた卵焼きを作らなくなっているのかもしれない。

    江戸の花見の名所王子飛鳥山に卵焼きで有名な「扇屋」と言う料亭があった。江戸から続く老舗で、もちろん他の料理も美味しいのだがコース料理のメインでもある卵焼きは絶品であり看板料理であった。食事の後のお土産として卵焼きを頼むと一緒に小さな拍子木が付いて来る。これはこの料亭がモデルになっている王子の狐と言う落語にちなんでお土産の卵焼きを狐に化かされて取られないようにとの粋なおまじないである。この卵焼きの作り方は良く分からないのだが聞いた話では厚手の専用鍋に卵を流し込み鍋蓋の上に炭を置き上下から火を掛けて焼く作り方をしていたらしい。江戸情緒を残した数少ない料亭であったが残念ながら店は無くなってしまった。卵焼きだけの販売は行っているようでデパートなどでも見かける事がある。美味しい卵焼きではあるが舌の記憶があいまいなのか製法の違い等があるのか以前食べた円柱形の厚焼き卵を切り分けた味とは少し違うような気がする。

    おせち料理として江戸の正月には欠かせない物に伊達巻がある。鶏卵に魚のすり身等を混ぜて砂糖、みりん等も加えこれも甘く焼き上げた物でぐるりとすだれで巻き上げる。江戸前の鮨店で焼かれる卵焼きもエビや魚のすり身、山芋等を加えて焼かれる物が多い。さながらカステラのように焼き上げる店もある。東京の台所築地にも卵焼き専門店は多く繁盛をしている。また鶏肉店等でも卵焼きを名物にしている店も少なく無い。

    江戸時代の料理本に黄身返しと言う不思議な料理がある。普通ゆで卵は殻をむくと白身が現れ白身に包まれるように中心に黄身がある。黄身返しと言うのはそれが反対で外側に黄身があり中側の白身を包んだようなゆで卵になっている。実に不思議であるが作り方も記されている。ところがその通りに作ってもそのようには出来ない。なんのことは無い冗談かと思えば実際にそんなゆで卵が存在する。要は手品のタネと同じで作り方は秘密で教えないよ、と言う分けである。江戸っ子の遊び心と言う物であろう。是非暇があればチャレンジして見るのも面白いかもしれない。実は理論的に黄身返しを作る方法は確立されている。私はと言うとうまく行く確率が高くないのが難であるがそれらしきものを作る自信はある。

  • タ コ

    大阪湾の沿岸等ではおそらくタコツボであったと思われる土器が出土される事がある。弥生時代の人が飯蛸漁を目的として作られた土器と言われている。日本人は弥生時代から既にタコを食べていた事になる。私も含め日本人にはタコ好きのDNAが流れている事にも納得が行く。世界的にみるとタコを食用とする国は少ないようである。現在国別のタコの水揚げ量は中国が1位であるが、しかし中国人は基本的にタコを料理する習慣は無いようである。以下2位モロッコ、3位日本、4位メキシコ、5位モーリタリアとなるが日本を除いてはタコを食べ無いようである。続いて韓国、スペイン、ポルトガルとなるがこれらの国は自国でタコを食べる国となる。スーパーの鮮魚売り場で売っているタコにはモーリタリアやモロッコ産が多い事から察しても日本向け輸出の為にタコ漁をしている事が分かる。

    各種料理が発展した江戸時代には多くのタコ料理が作られて食されていた。大阪ではタコと言えばまずタコ焼が上げられる。実はラジオ焼と言って牛筋とコンニャク等を入れたタコ焼きの原型のような食べ物が先にあったとの事である。これに明石の明石焼のようにタコを入れたらと考案したところ大変評判が良くタコ焼きとして広がったとの説がある。東京ではタコと言えばまず酢の物か鮨ダネのタコが思い浮かぶ。東京御徒町に江戸前を売り物にする名店「勘八本店」があり此処の主人はその道60数余年の鮨職人である。この店のタコは鮨飯と一体になる柔らかさに煮られていて他の鮨店のタコの握りと食感が大きく異なる。主人いわく口に入れてネタとシャリが違和感なく食べられるように握るのが江戸前鮨の仕事との事である。それだけタコにこだわりがあると言う事で大変評判が良い。タコの産地として有名な所には明石や下津井がある。明石は明石焼でも知られるようにタコが名物であるが明石ダコを使ったタコ料理コースを提供する料亭として人丸花壇がある。

    海藤花(タコの卵)の吸い物から始まりうす造り、ぶつ切り、やわらか煮、天麩羅、酢の物、タコご飯等が提供される。ちなみにタコの卵は海藤花と呼ばれタコのすみかである海底の洞窟に産み付けられた卵が藤棚から下がる藤の花のように見える事からそう呼ばれている。

    瀬戸内海の生口島耕三寺門前にも「憩」と言うタコ料理専門店が有り各種タコ料理を食べに行った事があるがこちらも美味しいタコ料理の数々を提供している。

    青森県下北半島ではタコの内臓が売られておりタコの道具(内臓)汁等として食べられている。それこそタコをすべて食べつくす食文化と言える。とかく女の好むもの芝居、浄瑠璃、芋、蛸、南京と関西地方でよく言われる言葉である。井原西鶴の作品中で言われた言葉に由来するようである。江戸時代の女性の楽しみが芝居、浄瑠璃、好きな食べ物として甘く煮た芋(サトイモ、サツマイモ)、南京(かぼちゃ)は成るほどと思える。正直タコについてはなぜだろうと言う感じもある。NHK朝の連ドラで田辺聖子の自叙伝的ドラマ「芋、たこ、なんきん」が放映された。当時最高齢ヒロインとされた藤山直美が好演し評判を得た。タコ料理もポピュラーな食べ物として名女優藤山直美のように庶民に愛され支持さているとの事だろうか。

  • サケ、マス

    春になり桜の季節になると日本料理店ではサクラマスを使う事が多くなる。サクラマスは桜の季節が漁期であるから名づけられたと言う説もある。サクラを冠した魚名とサーモンピンクの身が春のイメージに相応しい。富山名物「ます寿し」などに使われるのもサクラマスが多いとの事である。このサクラマスが渓流の女王と言われるヤマメと同種と知る人は少ない。

    一般にサケ、マスの仲間は海で回遊しながら成長し川を遡上して産卵する降海型の魚である。ところが河川に残留し一生を淡水域で過ごす陸封型の物がありそれがヤマメであり海へ下って海水で過ごす物がサクラマスとなるとの事である。見かけの色も姿かたちもその大きさも似ても似つかぬ物となる。大きな海原で豊富な餌を取り回遊をして運動する事により河川で育つ兄弟より何倍も大きく育つ。まさに自然の神秘である。アマゴとサツキマスも同様で陸封型がアマゴと言われ、海に下って育った魚体がサツキマスとなる。広島県ではこの習性を利用して新たな試みがされている。山間の清流で育てたニジマスを瀬戸内の海で養殖して大きく育てると言う養殖方法である。この海の養殖場で大きく育てたニジマスを広島サーモンと言うブランドで売り出そうと言う事である。鮭と言えば養殖のイメージがあり最近ではノルウエーやチリの養殖物が日本人の食卓をにぎわしている。以前から日本では川を遡上してくるサケを捕らえて卵を取り出し雄の精子と受精させ稚魚を育てて放流する。不思議な事に大海を回遊しながら育ったサケは産卵の為必ず生まれた川に戻ってくる。新潟県村上では江戸時代からそこを流れる三面川に産卵場所を作りこの川生まれのサケが回帰するのを待って食料とした。寒風にさらす塩引き鮭が有名であるがサケ一匹すべてを料理して食す調理法や料理が確立されてもいる。サケの腎臓の塩辛であるメフン、中骨を長時間煮込んで柔らかくしたドンガラ煮、ドンビコと呼ばれる心臓を串焼きにした物など100種類に及ぶと言われている。これらのサケ料理を提供する店もあり料亭能登新、うおや、割烹吉原等が鮭のコースを提供している。この村上のサケ料理で舌鼓を打った事があれば村上市が1人あたりのサケの消費量が日本一と言われるのも納得が行く。東京でも以前は年末になると北海道や東北で作られた新巻ザケを買い込んで年明けから節分の頃まで保存しながら食した物である。南部鼻曲と言われ青森や岩手で取れる大型の雄のサケは贈答などにしても喜ばれたように記憶している。年末に築地やアメ横で新巻きザケを買い、ぶら下げて帰る風景も今は昔の話かもしれない。昭和30年代頃まではお弁当のおかずと言えば塩ザケが定番であった。おにぎりと言えばコンビニで買う物と言う時代になってもサケのおにぎりは人気があるらしい。子供の頃はなぜかサケをシャケと呼んでいた物だが今の若い人には通用しない言葉のようである。昔は周りの大人も含めて皆シャケと言っていた気がするのだがこの事がどうしてだか良く分からない。スッキリしない気分でもあるが今日の処は塩ザケのお茶漬けを食べて話のしめならぬ夕食のしめにしようと思う。

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