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  • 精進料理 - その1 -

    精進料理は仏教の精神から殺生をさけて動物性の素材を使わずに全て植物性の食品で作られる料理である。仏教を起源として発展してきた料理なので有名な店はお寺の門前にあったりする。鎌倉建長寺に由来するけんちん汁。京都大徳寺で作られていた大徳寺納豆。高野山の名を冠した高野豆腐。胡麻豆腐で知られる永平寺は日本における精進料理から懐石料理に大きな影響を与えてきた。厳しい修行で知られる寺であり食事も修業ととらえる考え方により作法を重視している。もちろん修行僧が食べる物で有るので精進料理であるが食事を作る事も食べる事もすべて修業と成る。懐石料理とは修行僧が空腹を補う為温めた石これを温石と言い懐にだいて空腹をしのいだ事に由来するらしい。これらが茶事と共に発展して現在の懐石料理と成る。ご存知のように懐石料理は一幅の茶で客人をもてなす為の料理で精進物だけで作られる料理では無い。おでん種や煮物として食されるガンモドキは文字どおり鳥の雁に見立てた豆腐加工食品である。京都の黄檗山万福寺門前の白雲庵と言う精進料理店で擂った山芋で作られた鰻の蒲焼もどきを食べた事がある。実に上手く出来ていて心底感心したものである。この白雲庵は中国から伝わった黄檗普茶料理の店で目にも鮮やかな精進料理が味わえる店として知られている。黄檗普茶料理は中国の禅僧隠元禅師が日本に伝えたとされる精進料理である。禅師の開山した黄檗山万福寺を発祥とし中国伝来の精進料理にさらにアレンジを加えて完成されたとされている。隠元禅師は日本にインゲン豆を伝えたとされてもいる。

    東京台東区竜泉にある精進料理の専門店「梵」では普茶料理を食べる事が出来る。雲片は野菜を短冊に切り油煎りして葛煮にした料理で野菜のはしまで残さず調理する意味もあり普茶料理の定番でもある。この店の雲片を食べると味がするわけでは無いのだが非常にかすかな生姜の香りがする。その事を店の人に聞くと分からない方が殆どなので味覚が優れておられますねと褒められた記憶がある。料理に香りの強い生姜汁等は使わないが切った生姜の切り口を盛り付ける器に軽く塗るような繊細なひと手間を掛けているとの事であった。本来精進料理とは仏教思想に基づき肉や魚等動物性食品と同時にニンニクやニラ等の香りの強い食材を使わない料理でもある。料理の基本となるだしも鰹節等は使わず昆布、干椎茸、煎大豆、干瓢、干した人参、大根等を上手に使ってうま味を取る。「梵」でも椎茸の他各種キノコを干した物を工夫してだしを取るようである。精進料理とは手間暇を掛けて調理する事により精進の心が表現される料理と言えるのかもしれない。食べての方も「梵」のようにさりげない簡素な佇まいのそれでいて行き届いた室内で心静かに精進料理を食せば体の中が洗われたような心持となる。私のような俗な人間でもそのような気持ちになれるのは不思議である。気の置けない友人と居酒屋などでワイワイ騒ぎながらの食事も良いが、たまには精進料理で心静かなひと時も悪くは無い気がする。食に対する感謝をこめて。

  • 精進料理 - その2 -

    万願寺唐辛子、九条葱、加茂茄子、堀川牛蒡、鹿ケ谷かぼちゃ等々。京野菜は相変わらずブランド野菜として評価が高い。寺の多い京都にはそれら京野菜を使った精進料理の店が多くある。泉仙、阿じろ、大徳寺一休等りっぱに伝統の京料理である。大徳寺に起源を持つ大徳寺納豆は日本独特の納豆菌を利用した糸を引く納豆では無く古く中国から伝来した物に工夫を加えて作られる。麹菌を利用し乾燥熟成した物で日持ちも良くご飯のお供やお茶請け調味料としても使われる寺納豆である。湯葉は豆乳を温める事によりたんぱく質が熱凝固して表面に形成される膜を引き上げて作られる。これをそのまま料理に使う物を生湯葉、乾燥させて保存を聞かせた物が干湯葉、乾燥湯葉と言われる。西の京都や東では栃木県日光等が名産地とされるが、ちなみに京都は湯葉、日光は湯波と漢字表記されるのも面白い。

    東京愛宕には精進料理の名店「醍醐」がある。お寺で出されるお斎のような物では無く高級料亭としての精進料理店である。法事などに利用されるほか食通やベジタリアンにも特別な料理として訪れる人が多いと聞く。雷除けとされるイチイの木で作られた箸が提供されるがこれは初代が料理を学んだ「角正」から由来するらしい。飛騨高山の名店「角正」は精進料理こそ究極のスローフードと位置付けて料理を提供している。江戸期創業とされ岐阜県内で最も歴史のある料亭と言われている。精進料理の料理人を目指す者だけでは無く料理修業場として多くの料理人を輩出している。兵庫県の有馬温泉にある老舗旅館「古泉閣」の敷地内には簡素な庭園に落ち着いた佇まいの「精進料理慶月」がある。こちらも角正の味を受け継いで素朴ながらも格調高い味わいを提供してくれる名店である。鎌倉にある「鉢の木」は精進料理の店として知られていて鎌倉の寺巡りをする旅行者に評判の店である。北条時頼建立による建長寺門前に創業した事から時頼にまつわる戯曲「鉢の木」にちなんで屋号を定めたとされている。鎌倉には以前「門前」と言う精進料理店もありこちらも美味しい精進料理を提供していたが店を閉めてしまったようである。永平寺風精進料理は鎌倉時代中国で修業した曹洞宗の開祖道元が禅宗の食事法を持ち帰り基礎を築いたとされている。道元禅師の記した「典座教訓」「赴粥飯法」は料理人の心得から食事作法に至るまでの規範が示されている。要するに料理を作る作業のひとつひとつが修業であり食事をする時も精進の精神を大切にする事が修行となる。この永平寺を代表する料理が胡麻豆腐である。永平寺門前には土産店が多く並ぶが胡麻豆腐は永平寺土産として人気が高い。仏教思想に基づいて寺院で発展した料理であるが精進料理はその後江戸時代の料理において広く影響を及ぼす事となる。

    食材を余すところなく調理して食べる事は精進料理の基本である。同時に現在に至るまで日本料理においてはその始末がキチット出来る料理人が良い料理人とされてきた。数ある料理の中でも精進料理は一心にその道に向い努力する。そんな意味が込められた料理のように思える。


  • 正岡子規の句に「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」と言う句がある。何気ない句のように思えるが日本人なら誰しも古都の秋の長閑な風景が目に浮かぶ名句と言える。実際子規は柿が大好物であったようである。関ヶ原の合戦で敗れ捕らえられた石田光成は柿を提供され冷えるので身体にさわると断ったと言う逸話が残る。死を目前にして体を気遣う事も無いだろうと思うが話としては面白い。猿蟹合戦ではサルが親ガニに渋柿をぶつけて殺してしまう。日本には柿にまつわる昔話や逸話が多い。フランスでは柿は日本語のカキとして売られている。日本を代表する果物と言う事になるのかもしれない。

    韓流ドラマ「宮廷女官チャングムの誓い」が日本でも大ヒットした事は記憶に新しい。スラッカンと言う宮廷内の食事をつかさどる部署が舞台のドラマであり韓国料理が脚光を浴びた。ドラマの中でスラッカンの長であるチェゴ尚宮が料理を作り料理の甘味を何で出したのか謎を掛ける。幼いチャングムが柿を使って甘みを出したと言い当てるシーンがある。気候の近い韓国でも柿は昔から食べられており料理にも用いられていたようである。糖分が多く甘い果物のイメージがある柿だが殆どの種は渋柿である。近所の庭に実っている柿を知らずに盗んで食べようものならあまりの渋さに開いた口を閉める事が出来なく成る。甘柿の代表的な品種を紹介して見よう。次郎柿は静岡県原産でしゃっきりした歯ごたえがある。原木は1844年に松本治良吉が自生していた幼木を持ち帰り栽培した事が始まりで県の天然記念物となっている。名前の次郎はこの治良吉さんに由来する完全甘柿である。富有柿は岐阜県原産で小倉初衛が御所柿を起源とし栽培。後に福島才治が別の木に接木して育てた物と言われる。1898年の柿の品評会で一等となり全国に知られるようになったとされ今は岐阜県や奈良県始め全国での栽培が盛んである。御所柿は奈良県原産で甘柿のルーツとも言われ江戸時代に盛んに栽培された。今は富有柿に押されて栽培量が減り幻の柿と言われている。ちなみに前出の子規が食べて柿が御所柿だったのではと言われている。上記の完全甘柿に対して不完全甘柿があり生育条件等により渋が残る事があるタイプの柿である。西村早生は滋賀県の西村弥蔵の農園で偶然発見された物で最も早く熟す柿として人気があり福岡始め全国で栽培されている。筆柿は江戸時代より愛知県に自生していた柿で形が筆の先のように見える事から命名されている。不完全甘柿は育成条件等により渋が残る物があり以前は勘にたよって選別されていたが今は機械的に選別できるようになった。渋柿はアルコールや炭酸ガス等で渋抜きをしてから出荷される。福島会津の身不知柿庄内柿と称される平核無柿等が有名である。渋が抜け甘味が凝縮される干し柿にして出荷される物も多く長野県の市田柿、岐阜県の蜂屋柿等が知られている。不完全渋柿である甲州百目は500gにもなる大型種で干し柿にして都内の高級フルーツ店などで売られている。今も昔も秋から冬にかけて柿は日本を代表するフルーツである。

  • フ グ

    季節になるとシーズン中に一度は食べておきたいと思う鍋にフグちりがある。関東ではフグは高価であり我々庶民には高嶺の花であるが本場下関や大阪、関西方面ではよく食べられているようである。関西ではフグ刺しはテッサ、鍋はテッチリとも呼ばれるがこれは鉄砲と同じで当たったら命にかかわると言う事かららしい。フグには毒があり危険な事は昔から知られており古くは縄文の時代からフグに当たって亡くなったと想像される人骨も発見されている。古来多くの人がフグ中毒で命を落としている記録もある。近年では人間国宝でもあった歌舞伎界の名優八代目坂東三津五郎氏がフグ毒に当たって死亡した事を記憶している方も多いのではないだろうか。食通でも知られた三津五郎氏が京都の料理屋でフグの肝を所望してお変わりまでして数皿をたいらげてしまった事が原因とされている。フグ調理師がフグ毒の怖さを認識して提供する事を渋ったが結局求めに応じて出してしまった事により有罪判決となった事件としても知られている。美味しいフグは食べたいが毒に当たって命を落とすかもしれないと考えると簡単には手が出せない。

    フグは食いたし命はおししとは快楽や儲けを考えれば手を出したいが後に起こるかもしれない問題やリスクを考えちゅうちょする事のたとえである。最近の養殖フグには毒が無い物もあると言われているがこれはフグ毒であるテトロドトキシンは元々フグ自体が持っている物では無く捕食される貝やヒトデなどによりフグの体内に蓄積されて行くものらしい。

    毒を持たない餌しか食べなければ毒の無いフグとして成長すると言う理屈である。最近はこのように毒を持たないフグであれば本来毒が蓄積される部分として食してはならない肝等も食用部分と考えて良いのではないかと言う風潮もあるようだ。しかし個体ひとつひとつを証明して行かなければならず取り違えたで済む問題では無いのも事実である。フグ食を禁止したのは豊臣秀吉と言われている。朝鮮出兵の武士が九州に終結した際フグ中毒で死亡する者が相次ぎフグ食禁止令が発布された事が始まりらしい。その後江戸時代においてもフグ食は禁じられ明治に至る。フグの本場とされる下関にはフグ料理公許第1号として知られる春帆楼がある。ある時明治の宰相伊藤博文が宿泊したがあいにくしけで良い魚が手に入らず仕方なくフグを調理して提供した。伊藤博文はフグの美味しさに感激してこんなに美味しい物が禁止されていてはとふぐ食解禁に力を貸したとの事である。長州出身の伊藤博文は既にフグ食の経験があり毒のある部分を取り除けば食せる事を知っていたとも思える勘ぐりもある。春帆楼は日清講和条約が結ばれた時に使われた料亭としても知られている。東京下町にはフグを怖がるようでは江戸っ子では無いと粋がっての事かは分からないがフグ料理店も多い。銀座大雅、築地天竹、人形町かねまん、根岸にびき、下谷魚直、浅草三浦屋、浅草三角、上野さんとも等少々背伸びすれば我々庶民でも味わえる。以前は東京のフグ専門料理店は冬に稼いで夏場の7〜8月は店を休んだりしていた物である。今から考えれば何とものんびりとした時代である。

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