日本橋倶楽部会報9月号(第504号)
【 九月号】
「厨房のもう一つのオリンピック」
7月23日に開幕した2020東京オリンピックから東京パラリンピックへとリレーされ、3ヶ月にもわたった56年ぶりの大イベントもいよいよ9月5日に閉幕となる。1964年の東京パラリンピックは11月8日から12日まで行われ、日本は卓球男子ダブルスで金メダル、米国は50個の金を獲得した。その開会式が行われたのは進駐軍に接収され、「ワシントンハイツ」と呼ばれた827戸の米軍住宅が返還された後に完成した選手村であった。会期中の利用者7000人、延べ60万食と言われた短期村民アスリートの胃袋を24時間満たした場所は4人のサムライ料理長と全国から招集された300人のシェフが格闘した「桜」、「女子」、「富士」の3つの食堂。とりわけ「富士」は最年少の42歳、帝国ホテル料理長・村上信夫に託されていた。祖国の力めしが食べられず、本来の実力が発揮できない小国の選手に満足できる味をと奮闘していた村上の”もてなし”の美学に触発された学生アルバイトも大勢いた。卒業後、東京會舘の西洋料理の道に進み、名職人と言われながら、2020東京オリンピック開催直前に早世してしまった人形町の老舗「七七七(喜)寿司」の三代目、油井隆一氏もその中の一人であった。小堺