はし休め
「沖縄の思い」
日本橋倶楽部会報6月号(第514号)
【六月号】
1972年5月15日に沖縄の施政権が米国より日本に返還されて50年となった。沖縄がかつて米国に占領統治されていたことを知らない若人も多く、今年は沖縄を舞台にしたTV番組や特集が多い事で再認識した方も多いかもしれない。ドルが円に、交通規則が左側通行に、ダイム(10セント)でかけていたフォーンブースは10円の公衆電話に替わる。沖縄の人々は期待と混乱の一日を迎えたに違いない。
清国に支配されていた琉球王国は薩摩の侵攻から琉球藩へ、明治政府の下では沖縄県となり、太平洋戦争後は米国の統治を経て現在に至る。沖縄戦では一般住民9万4千人を巻き込み、米国兵の2万人、英兵85人を含む約19万人がこの地に散っている。この戦いは3月26日に始まり、6月23日に牛嶋中将が自決、実質的な戦闘終結は7月4日である。江戸末期、ペリーは浦賀沖に現れる前に5回も黒船で沖縄上陸を果たし、太平洋戦争でも米軍は沖縄攻略を日本降伏の最重要戦略とした。ちなみにサトウキビ畑に埋まる住民たちのことを本土出身のバンド「THE BOOM」が作詞・作曲したものが「島唄」である。優しく、か弱い人々はいつも平和の名の下に犠牲を強いられてきた。「ウチナー」は今月77年目の終戦日を迎える。 小堺