2024年4月~5月 安藤優一郎氏の江戸の歳時記が更新されました

2024年の江戸の歳時記は江戸の化粧事情を連載致します。

江戸の化粧事情④ 【大ヒット商品となった「江戸の水」】

前回の「花の露」に続けて、今回は「江戸の水」という商品名の化粧水を取り上げます。

「江戸の水」は、「浮世床」「浮世風呂」などの作品で知られる劇作者の式亭三馬が、文化8年(1811)に化粧品街だった日本橋の本町で開店した店で売り出した化粧水です。白粉ののりが良くなり、ニキビなどの肌荒れにも効くというのがウリでした。「江戸の水」は人気商品となりましたが、その理由としてはネーミングの良さもさることながら、販売戦略と宣伝戦略の効果が大きかったようです。

販売戦略としては、箱付きのガラス瓶入りという売り方がお洒落であると女性には人気でした。箱入りは48文で売られましたが、詰め替え用の入れ物を持参してきた場合は32文で売るという商法も当たりました。割安感で売れたのでしょう。大瓶の場合は200文で売られました。ちなみに、ガラス瓶は1個につき6文、箱も1箱につき6文でガラス屋と箱屋に納品させましたので、売り値の4分の1が包装代となる計算でした。

宣伝戦略については、自分の作品「浮世風呂」を活用したことが挙げられます。「江戸の水」の良さを作中の登場人物に語らせただけでなく、挿絵のなかに宣伝の張り紙を入れることで売り上げのアップを目論んだのです。

 

江戸の化粧事情⑤ 【白粉の普及】

化粧ののりを良くするための下地として化粧水を使った後は、いよいよ化粧となります。江戸は薄化粧、かたや上方では濃化粧が好まれたといいますが、いずれにせよ白(白粉)・赤(紅)・黒(お歯黒)の3色でメークしています。白粉からみていきましょう。

古来より、日本では白い肌が美人の条件とされてきました。そんな美意識を背景に、奈良時代から女性は白粉を使って顔を白く化粧するようになりました。ですが、当時は白粉が貴重品だったことから、貴族など上流階級の女性だけが使っていました。

白粉は水銀などの鉱物から製造されましたが、江戸時代に入ると、安価で質の良い鉛白粉が製造されるようになったことで、庶民の女性も白粉を使いはじめます。白粉には3種類あり、きめ細かい粒の上等なものは「生白粉」、次に上等なものは歌舞伎役者の使う「舞台香」でした。その次が「唐の土」と呼ばれた廉価な白粉となります。

白粉は水で溶かした上で、刷毛で顔、首、胸、耳に塗られました。ムラにならないよう、そして塗ったか塗らないか分からないようにすることが肝要とされていました。

 

※安藤優一郎氏の「江戸の歳時記」Ⅰ~Ⅲ (2015~2018年)を冊子として刊行しております。

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