日本橋倶楽部会報11月号(第495号)
【十一月号】
「すしの日」
11月1日は「寿司の日」である。歌舞伎『義経千本桜』の「鮓屋の段」に登場する“弥助”とは壇ノ浦の戦いに破れ、奈良・吉野川の鮎鮓屋・宅田弥左衛門にかくまわれていた平維盛。維盛が弥左衛門の婿養子となった11月1日をこの日に定めたそうだ。この「釣瓶鮓屋」は現在49代目を襲名した「宅田彌助」が引き継ぐ八百年を超す最古の鮓屋である。こちらの鮎鮓はいわゆる“なれ鮓”だ。さて江戸の名物料理と言えば、“鮨” “蕎麦” “鰻” “天ぷら”であるが、特に江戸前で獲れた新鮮な魚が豊富に揚がった日本橋魚河岸には “握り鮨”の屋台が多く出没し、せっかちで舌の肥えた江戸っ子の胃袋を満たした。いわば江戸時代のファーストフードであった“早鮨”屋台は赤身鮪ならそれのみと専門に握っていた。半身に構えた客は食べ終えるとサッと次客に場を譲り、出際に暖簾で指を拭う。その汚れ具合で旨い不味い店の見極めができた。ちなみに当時の一貫はおにぎり位の大きさだったが、“にぎり寿司”の始祖「華屋与兵衛」が一口で食べやすいようにと二つに切って供した。今でも二貫ずつ出してくる寿司屋は昔からの慣わしを守っているようで好“貫“がもてる。
小堺