食のサロン 「江戸前天麩羅の話」

 

その1 / 天麩羅の味は江戸前の海?

天麩羅種と言えば車海老や穴子、かき揚にする芝海老や小柱が頭に浮かぶのではないだろうか。

江戸前天麩羅の種に銀宝(ギンポ)と言う魚がある。「銀宝を食べずして江戸前天麩羅を語るなかれ」と言う人もいる。江戸前天麩羅の三大天麩羅種の一つと言われる事もある。私はこの魚を天麩羅以外の料理で食べた事は無いが、天麩羅としては確かに美味しい。季節種として5月半ばから7月位が旬とされ、この季節を待ちわびている天麩羅好きな江戸っ子も多い。

天麩羅種としては珍重されるが決して高級魚と言うわけでは無い。何処でも取れるが需要があまりなく市場に出る事が少ないと言うのが真相らしい。それどころか煮ても焼いても美味くなく天麩羅で食べる東京以外では見向きもされないと言う話もある。天麩羅職人の話によると、鮮度が問題なので殆どが生きたまま活魚として購入されるが、小骨も多く割くのが面倒で下ごしらえが大変らしい。

天麩羅店の方でも通の客には喜ばれるが、一般的に知られていない部分もあり扱う店が少なくなってきているようである。鮨種の小肌も煮たり焼いたりしても美味しくないが、酢で〆る事により江戸前鮨の代表的食材となる。銀宝も鮨における小肌の様に江戸前の天麩羅職人が工夫して、天麩羅種として仕上げた一品なのかもしれない。

江戸前の三大天麩羅と言う話が出たが、あとの二品はキスとメゴチと言う説が一般的に言われている。どちらも天麩羅にして実に美味しい魚である。メゴチは頭を落して松葉に下ろし尻尾を残して天麩羅にする。キスやメゴチは江戸前の海で釣り魚として豊富に取れた物と思われる。昔は沢山釣れた魚の代表としてハゼがあり、ハゼの天麩羅も江戸前の代表的な天種である。沢山取れるので何処からか湧いてくると言われていたらしい。

佃煮や甘露煮も良いが衣を付けた天麩羅は特に江戸っ子に好まれた。これらの魚の天麩羅は庶民のご馳走であったに違いない。父親が釣ってきた魚を家庭で天麩羅にして食べる事も少なくなってしまった。天麩羅船と言われ釣り船を仕立てて釣った魚を船の上で天麩羅にしてもらい釣果を味わうと言う趣向がある。釣りの中でも費用の掛かる贅沢な釣りである。

芸者衆を引き連れて屋形船で天麩羅を始め料理を楽しむいわゆる船遊びは、江戸のお大臣遊びの代表であった。船遊びとなると庶民には程遠い話になるが、せめてたまには贅沢をして屋形船の上で揚げたての天麩羅を食べたい物である。キスやメゴチ、アナゴやハゼの天麩羅を食せば、江戸の昔が偲ばれると言う物であろうか。夕涼みに大川に屋形船を浮かべて天麩羅で舌鼓を打つ。

完成したスカイツリーのライトアップを眺めながらとくれば格別ではないだろうか。もちろん懐具合が許されるならばの話なので、残念ながら私自身想像の話となる事をお詫びしなければならない。

その2 / 天麩羅のルーツは?

天麩羅の語源は油や調理の意味があるポルトガル語のテンペロに由来すると言う説がある。別の説ではキリスト教の宗教用語クアトロ・テンプラシを語源としている。

四節句にキリストの受難をしのんで節食として肉を食べずに肉の代りに魚のフライ等を食べていた。この習慣が日本に伝わりクアトロ・テンプラシから魚の揚げ物の事をテンプラと呼ぶようになったと言う。その他にも諸説がありどれを定説とするかは難しい処である。この衣を付けて魚等を揚げる料理に江戸時代の劇作家「山東京伝」が天麩羅と漢字をあてはめたと言う話が伝わっている。

天麩羅は日本独自の揚げ物料理と思われがちだがキリスト教の宣教師と共に渡来した南蛮料理がルーツと思われる。始まりはフランシスコ・ザビエルの来日した安土桃山時代。面白いのは鉄砲伝来と同じくして日本に伝わってきたと言う事である。地方によってはさつま揚げのように魚のすり身を揚げた揚げカマボコを天麩羅と呼ぶ所もある。現在のような小麦粉を水で溶いて衣として油で揚げる天麩羅は江戸が発祥と言われている。おそらく長崎あたりで外国人が作るフリッターのような物を見て日本人が工夫したのではないかと思われる。当初は大名や階級の高い武士から大店の商家のあるじの食す高級な物であったと考えられる。

徳川家康が天麩羅好きで鯛の天麩羅を食べすぎたのが死因と伝わる説もある。しかし、この話は現在の天麩羅にあたる食べ物だったのか等不確かな事が多い。記録では元和2年(1614)正月3日に家康が油で揚げた鯛を食べたとあるが天麩羅と言う言葉は無い。思慮深い家康が食べ過ぎて体調を崩すほど天麩羅はそれほど美味い物だったと言う事であろうか。

天麩羅として庶民の間に広がったのは屋台の天麩羅屋の存在がある。安政年間(1772~81)に天麩羅屋台店が商売を始めたと言われている。蕎麦や鮨と同じように江戸庶民に親しまれたのは屋台の天麩羅屋からと言う事に成るらしい。

屋台では魚に衣を付けて揚げた物を長い串に刺して提供し客は串を持って口に運んだ。そのうち店を構える天麩羅店が登場し今のように箸を使い天つゆに付けて食す形になって来たとされる。豊富な魚介類が手に入り油や醤油、味醂が各地から運び込まれる江戸の町で天麩羅の食文化が花開いた事は容易に想像がつく。

日本橋の老舗天麩羅店「てん茂」は明治18年に初代の奥田茂三郎が屋台の天麩羅屋を創業しその後明治40年に店舗を構えたと言う。江戸前の丁寧な仕事と鮑の天麩羅や栗の渋皮揚げ等めずらしい天麩羅も提供する名店である。屋台がルーツであるこの店はさながら江戸前天麩羅の発展と重なる歴史を持っていると言える。その他にも「銀座天國」等東京の老舗天麩羅店では創業が屋台の天麩羅屋と言う歴史を持ち今に続く店も少なく無い。

その3 / 天麩羅はインターナショナル?

日本料理の中で欧米人にいち早く好まれたのは天麩羅ではないだろうか。外国人にとって富士山、芸者ガール、天麩羅、すき焼きが日本の名物とされた時代もあった。喜劇王チャップリンは来日時に銀座「天一」や茅場町「稲ぎく」、浜町「花長」等の天麩羅店を訪れている。定かではないがエビの天麩羅を20 本も食べたと言う信じがたい話も伝わっている。もともとチャップリンは日本贔屓であり日本に来て天麩羅を食べる事を楽しみにしていたらしい。信頼していた執事が日本人でありその勤勉で実直な人柄を敬愛していた。その為日本にも好感を持っていたようである。きっと天麩羅やすき焼きの話も聞いていたと想像される。

余談ではあるがチャップリンが映画の中で愛用していたステッキは日本製の竹で出来た物だったそうである。
外国人にも好まれた事からかホテル内のレストランとしても天麩羅が採用されるようになった。銀座天一は帝国ホテルに出店し外国人に喜ばれただけではなく常連の日本人宿泊客にも歓迎された。ホテル直営の日本料理店でも天麩羅を看板とした店がある。池波正太郎を始め多くの文人作家に愛されたヒルトップホテル(山の上ホテル)の天麩羅山の上である。料理長であった近藤文夫が独学で天麩羅を学び天麩羅の名店と言われるようになった。現在は独立して銀座に近藤と言う天麩羅店を開業している。大きく筒状に切ったサツマイモをじっくりと揚げて行くサツマイモの天麩羅等を名物としている。細長く切ったニンジンを少なめの天ぷら衣で揚げながらまとめて行くこの店独特のニンジンの天麩羅はニンジンの花火と呼ばれている。暖簾や箸袋に書かれた近藤の店名は池波正太郎の筆によるとの事である。京橋の人気天麩羅店「深まち」の店主深町正男もこの山の上ホテル出身である。

ホテルオークラの日本料理「山里」の天麩羅も評判が高い。季節の野菜や吟味された魚介類の天麩羅には食通のファンも多くここで修業をして独立した天麩羅店も多い。特徴は生きた鮎を使い揚げ油の中で泳がすように揚げて行く。それにより鮎があたかも泳いでいる時のようにヒレを伸ばして揚げあがる。この揚げたての薙鮎の天麩羅を腹の方を下にして提供する。天麩羅通の客なら店で提供される鮎の天麩羅を見れば山里出身の天麩羅職人と察しが付く。山里で仕事を覚えて独立した店には西麻布の天麩羅「からさわ」、水天宮前の「つじ村」、銀座の「てんぷら真」等がある。

過日銀座のハゲ天で天麩羅を食べていると中居さんが明日のサウジアラビヤの一行の予約がキャンセルになったと天麩羅の揚げ方に報告に来ていた。何気なく聞いていると、どうやら飛行機の都合で日本への到着が遅れる何がしで来店出来ないと言う事らしい。遠い中東からの訪日の折にも日本の食文化として天麩羅を楽しもうと言う事だろうかと勝手に想像をした。店内を見渡すと青い目の外人客が運ばれた天麩羅と共にニッコリとして写真を撮っていた。

その4 / 天丼は江戸っ子好み?

江戸っ子は丼物が好きと言うのは通り相場になっている。私の場合はどちらかと言うと鰻丼を食べるなら蒲焼とご飯の方が好きである。牛丼も食べるが白米がふやける位つゆが掛かっていたりするとガッカリする。しかし天丼の場合は別である。天麩羅定食と天丼のどちらも捨てがたい。なぜならば良い天麩羅店は天麩羅定食と天丼の揚げ具合も変えているし天つゆも天丼用と分けるような工夫をしているからである。

東京下町には天丼を売り物にしている店もあれば天丼専門店もある。浅草伝法院通りに店を構える大黒家は創業明治20年(1887)の老舗天麩羅店である。人気店でいつも混んでいるが店内の客の9割以上が天丼を食べている。胡麻油だけで揚げた大きなエビが売り物となっている。

吉原大門の見返り柳のそばに天麩羅伊勢がある。創業が日本堤の土手があった時代だったので土手の伊勢屋と言われ110年の歴史がある。活穴子を使用し丼からはみ出した穴子が乗った天丼が名物となっている。出前もしていたころはエビの尾が丼の蓋からはみ出ている事が評判であった。

日本橋三越近くの金子半之助は元々湯島の仕出し店が開いた天丼専門店である。コストパホーマンスが高いとの評判もあっていつも行列が絶えない。開店からの年数は浅いが味とボリュームで人気店となっている。

人形町の天音は色の濃い天麩羅衣をまとった天種にこちらも江戸っ子好みの濃い天つゆで知られる。胡麻油で揚げたカラッとした天麩羅は天丼との相性が良いように思う。兜町に近い場所柄もあって株式関係者がカラッと揚がった天丼を食べ株価も上がるようにと縁起を担いだようである。

浅草のまさるは天丼の美味い店と自らっている。新仲見世横の路地に店を構え天丼一本で商売をしていて大きな車海老が自慢の店である。銀座天国は天麩羅専門店として8丁目に立派なビルを構えている有名店である。2階3階は宴席を中心に天麩羅と割烹、日本料理を提供する。1階は庶民的なテーブル席で天丼を気軽に食べる事が出来昼夜賑わっている。明治18年銀座に屋台店として創業した歴史を持つ老舗であるが天丼めあてに訪れる客も多い。

天丼と言う料理を説明する場合は単に天麩羅をご飯の上に乗せたと言う事では表す事はとても出来ない。天丼は天麩羅と丼タレ、ご飯が一体となった料理であり伝統の技で作られる江戸っ子好みの料理に他ならない。

東京には天丼の発祥と言われる店がいくつかあるようであるが確かな事は分からない。創業天保8年(1837年)現存する日本最古の天麩羅屋とされる浅草の三定を天丼発祥店とする説もある。長野県諏訪地方には信州味噌天丼と言う天丼を出す店が多くある。特産の味噌を使った味噌ダレを天麩羅に掛けて食べる天丼である。懐かしくて新しい味として全国へ発信しようとした試みと聞く。

昭和の頃、子供たちは天丼を食べると自分も大人の仲間入りをしたような気になった物である。天丼は庶民の味に違いはないが、ちょっぴり背伸びをしたささやかな贅沢を味わえる丼とも言えよう。

その5 / 野菜天麩羅は季節の味?

野菜を揚げた物は天麩羅とは言わない。私の子供の頃江戸っ子はこう言っていた。魚介類に衣を付けて揚げた物を天麩羅、ナスやニンジン、ゴボウやハスに衣を付けて揚げた物は精進揚と言うんだと教えられた。確かにそのころ江戸前を売り物にしていた天麩羅店では天麩羅にした野菜の類を食べた記憶が無い。あっても彩に副える、しし唐位の物だったように思う。かといって江戸っ子が野菜の天麩羅を食べなかった分けでは無い。

下町には精進揚げの専門店があり揚げた野菜の天麩羅を店頭で販売していた。家庭でも良く精進揚げを揚げて夕飯のおかずとした物である。家族が何人かいると私はサツマイモの天麩羅、僕はインゲン、私は椎茸等と好みも別れて食事を楽しんでいた。

要するに魚介類を使った天麩羅と野菜を使った天麩羅は別物として区別していたと言う事らしい。現在天麩羅店でかたくなにこの伝統を守っている店は少ない。むしろ野菜の天麩羅を売り物にして繁盛している天麩羅店は多い。季節ごとの野菜や山菜、キノコ等の天麩羅を食べる事は天麩羅好きの楽しみでもある。

日本料理は季節を大切にするが天麩羅で季節を味わうのもおつな物である。暖かい地方で採れたフキノトウ、コゴミ、タラの芽等の天麩羅を食べれば一足早く春の訪れを感じる事が出来る。筍の天麩羅、菜の花やそら豆の天麩羅は春を満喫できる。夏野菜ならグリーンアスパラからミョウガ、オクラやインゲン、ヤングコーン、最近ではプチトマトを天麩羅にする店もある。色とりどりのパプリカやしし唐、万願寺唐辛子等も美味しい。秋を迎えれば嫁に食わすなと言われた秋ナスやほっこりとしたサツマイモの天麩羅も登場する。

高級な処では松茸や各種キノコ類の天麩羅も秋に欠かせない味覚である。ギンナンやムカゴ、変った処ではアケビやヒシの実、栗や柿を天麩羅にしても美味しい。冬ともなればクワイやユリ根、セリの天麩羅も食べたい。堀川ゴボウや万願寺唐辛子、京人参等の京野菜も天麩羅種となる。そう考えると天麩羅好きは季節ごとの天麩羅を食べなければ一年を過ごす事が出来ないような気持ちとなる。要するに山菜や野草の類から各種野菜やキノコ等どれも天麩羅種に成らない物は無いと言う事に成る。

「何これ珍百景」なるテレビ番組の中で俳優の岡本信人が一般に知られていない野草やキノコ等は食べられるか検証するコーナーがあった。必ず天麩羅にしてその食物が食べられることを実証して見せる。もちろん体に害を及ぼすような物は天麩羅として揚げても無害になるわけでは無いと付け加えて置きたい。季節が無いと言われる都会では天麩羅店で季節を楽しむのもおつな物と言える。

その6 / 天麩羅はお好みで?

天麩羅店では殆どが価格によりいくつかのコースを作って客に提供している。店に任せる形なので世話無しではある。店の方で予算に合わせて定番のエビやアナゴに加え季節の魚介や野菜類などを取り混ぜて揚げてくれる。締めはかき揚を天丼にしたり天茶漬けにしたりもしてくれる店もある。

しかしせっかく目の前で揚げてもらうのなら、たまには自分の好のみで食材を揚げてもらうのも良いだろう。混雑している時は嫌がられるかもしれないが、お好みの注文で客に対応する力量のある店もある。そう言う店は自分の工夫した揚げ方で提供してくれたり、めずらしい天麩羅種が手に入るとそれを勧めてくれたりする。

私のお好み天麩羅初体験は30年以上も前になるが、新宿の有名店「つな八」であった。ハマグリの天麩羅は、用意した2個のハマグリを使い一度ハマグリの身を貝殻から外す。開いてあった貝の両方にハマグリの身を入れて、貝殻ごと衣を付け天麩羅にした物であった。ハマグリを貝殻ごとあげる事に驚いたがそこに仕事がされている事に感心もした。他にも珍しい天麩羅を食べて、最後はアイスクリームの天麩羅を頂いた。江戸前天麩羅として少し邪道かもしれないが、お好み天麩羅ならではの楽しみを味わえた気がした。

揚げ手にとっても、客と対話をしながら天麩羅を揚げる事が出来るので利点もあると思われる。たとえばプチトマトの天麩羅を揚げて黙って客に出したら、こんな天麩羅はいらないと思う客がいるかもしれない。お好みなら今日は何処産の良いトマトが入荷していますがお試しになりますか。こんなやり取りから客が興味を示してくれるかもしれない。日本橋の天麩羅店「弁慶」はこのトマトの天麩羅を推奨している。オリジナルや自店で工夫した天麩羅を提供する店は多い。「柳橋大黒家」では食パンを揚げてウニをソースのようにまとわせるウニパンを提供する。コースの中の一品であるが店の名物ともなっている。

築地にある「天竹」は天麩羅とふぐ料理を二枚看板としている。当然のようにふぐの天麩羅が名物となっていて、毎月29日を肉の日ならぬフグの日としてフグ天丼をサービス価格で提供している。現在東京で一番歴史の古い天麩羅店とされている浅草の「三定」は、饅頭の天麩羅をデザート感覚で提供している。揚げ饅頭としてお土産とする人も多い。色々な店でめずらしい物にお目にかかる機会があり、生ウニを海苔で巻いた天麩羅やフグの白子の天麩羅もことのほか美味である。

いずれにしても店の職人と会話を楽しみながら食べるお好み天麩羅は、天麩羅の醍醐味かも知れない。その際は好き嫌いや是非は別として、薦められたオリジナル天麩羅を味わってみるのも一興と思われる。

その7 / 揚げ加減は職人の腕?

天麩羅を揚げる時に使用する小麦粉は通常薄力粉を使用し冷水にてかき混ぜすぎないように溶いていく。かき混ぜてグルテンが強くなると揚げた時に衣に含まれる水分をはなし難くなりサクッとした食感にはならない。氷を使って溶く水を冷やしたり小麦粉自体を冷やしたりするのもグルテンを抑える為である。

揚げる時には衣の水分と油分を素早く置き換える事が必要になる。同時に高い温度で短時間に調理する事により具材となる天麩羅種も風味や栄養価も損なわず美味しく食べる事が出来る。水分を飛ばして揚げた衣は置いておくと空気中の水分を吸って湿気をおびてくる。それによりサクサク感が失われシナッとなって来てしまう。すなわち天麩羅を美味しく食べる原理は揚げる寸前に素早く衣を作り材料にまとわせ高温のたっぷりの油でサッと揚げる。食べる方も揚げたてを提供されたら時間を置かずに食べる事が最良と言える。

小麦粉を配合する場合もあり、その場合はもじどおりその店の天麩羅粉となる。粉の種類を季節によって使い分ける店もある。溶き水に鶏卵を加える場合もありこちらも卵のタンパクや油分を利用して美味しく揚げる工夫をした。昔は卵黄を混ぜて揚げ上がりの色から金麩羅、卵白を混ぜて銀麩羅等ともじった言い方をしていた店もあった。

天麩羅を揚げる温度は180度位で目安としては溶いた衣を揚げ油に落し沈んでもなべ底に付かない内に上がって花開くような温度が良いとされる。職人が水で溶いた天麩羅粉を油に落して確認するのは頃合いの温度を確かめる為である。揚げる材料によっても火の入り加減を調整し一度に鍋に投入する量も油の温度が下がらないように考えて行う。余熱も考慮し少し生の部分を残して鍋から上げ余熱を使って良い頃合いにするのも職人技である。

経験を積めば天麩羅の揚がり具合を音で聞き分ける事も出来る。油に投入したての音と火が通り始めた音、頃合いにより微妙に変化してくる。それらを聞き分けて自身がここぞと言うタイミングで天麩羅鍋から引き上げる。このタイミングは食材によっても店や職人によっても違う処が又面白い。要するに天麩羅職人は五感を使って自分の考える最も良いと思われる揚げ方を工夫している事になる。

日本橋の「てん茂」では薙鮎を揚げる時は柔らかい腹の部分に衣を多く付け頭と尾の部分には衣を付けずに頭と尾を持って油に浮かすように投入する。内臓を含んだ腹の部分の衣が薄いとパンクしてはじけ飛んでしまい風味を持った薙鮎の醍醐味が台無しになってしまう。この揚げ方であれば頭と尾の部分はカラッと揚がり胴体の部分はふっくらとジューシーに仕上がる。粉の溶き方や温度、材料への付け方等により衣の食感はもとより素材の特徴を左右する事となる天麩羅は揚げ手の職人の腕の見せ処と言えよう。客もまたその揚げ加減を味わい自分の好みの店を見つけるのが天麩羅を食す楽しみとなる。

その8 / かき揚は天麩羅の真打?

天麩羅と言えばエビやアナゴ、キス、メゴチ等、人それぞれ好きな食材があると思われる。なんと言ってもかき揚が好物と言う天麩羅好きも多い。殆どの天麩羅店がコースを頼むとまずエビを揚げて最初に客に提供する。旬の魚や季節の野菜をひと通り揚げ終わると最後はかき揚が登場しコースを締めくくる。かき揚と赤だし味噌汁にご飯とお新香でコース終了となる。店によってはかき揚を天丼や天茶づけとして提供する事もある。いずれにしてもかき揚を天麩羅コースの大取りと位置付けている事となる。

かき揚は店ごとに違った味わいが最も表現される天麩羅ではないだろうか。小エビと小こばしら柱だけでかき揚を作る店もあればそれに三つ葉を加える店もある。季節によってはそれにシラウオ等を加える事もある。イカを使ってリーズナブルな価格で提供する店もある。輪切りにしたネギや春菊等を使って彩や風味を加え、玉ネギを使えば甘みが増してそれはそれで美味しい。産地の静岡ではサクラエビのかき揚も定番である。

かき揚そのものを名物とする店も少なく無い。浅草の「中清(ナカセイ)」は幕末の頃の屋台から始まり明治3年に店舗を構えた老舗である。東都のれん会唯一の天麩羅店としても知られ江戸前を貫いているので野菜類の天麩羅は出さない。浅草の雷門の雷神様が持つ太鼓に似ている事から雷神揚げと命名された大きなかき揚が看板商品である。

同じ浅草の「葵丸進(アオイマルシン)」は天麩羅の大型店であり、こちらは大判のかき揚を金竜山浅草寺にちなみ金竜揚げとしている。赤坂にある「天茂(テンシゲ)」は昼に訪れる客の殆どがこの店のかき揚丼を目当てにしている。いつも賑わう店内で天麩羅を揚げている高畑粧由里は天麩羅店では珍しい女性の揚げ手である。倒れた父の後をついで2 代目天麩羅職人となったが、前職は教師だったと言う変わり種である。

かき揚に欠かせない小柱は青柳の貝柱の事である。青柳はバカガイと呼ばれるが呼名の由来には、昔は東京湾でバカのようにとれたから等諸説がある。現在江戸前の小柱と呼ばれるのは千葉県富津あたりで漁獲されている。北海道あたりで漁獲された物は大振りの貝柱でかき揚にして食べごたえのある物もある。北方系と南方系で大きさの違いがあるようであるがいずれにしても歯ごたえのある食感が好まれる。

最近は天ばらと言って、塩味のかき揚を茶碗に乗せて白飯に混ぜる様にして食べるのも流行っている。天麩羅コースの最後の食事として、この天ばらを出す店も増えている。天ばらとは元祖を名乗る「天ぷら店魚新(ウオシン)」によると揚げたてのかき揚を炊きたてのご飯をよそった丼や茶碗に乗っける。塩を適量振ってバラバラにしてご飯と混ぜながら食べるので天ばらと称したと言う。

その9 / 名店の技術は受け継がれる?

上野界隈の天麩羅店と言えば、本牧亭近くの「天鈴」や湯島が本店の「天庄」等が評判の店と言える。食通の叔父が贔屓にしていた山下と言う天麩羅店があり、子供の頃何度か連れて行ってもらった思い出がある。今もそのあたりを通ると立派な店構えが思い出されるが、今は無き天麩羅の名店である。

新橋にも橋善と言う天麩羅の繁盛店があった。歴史のある老舗天麩羅店であり名物のかき揚で知られていた。店を閉めた理由は知らないが繁盛をしていただけに惜しまれ、その味を懐かしむ人も少なく無い。

天麩羅店の味はその店の個性であり天麩羅職人の腕による処が大きい。何らかの事情で店が閉店してしまえば、もうその天麩羅を味わう事は出来ない。しかしその技と伝統を習得した職人がいればその味を引きぐ事が出来るかもしれない。名店で修業して暖簾分けや独立をした天麩羅店は、更に独自の工夫を加えて味を競っている。

浅草で創業した「稲ぎく」はその後日本橋茅場町に移り、お座敷天麩羅として高級天麩羅店の代名詞となった。日が暮れる頃になると黒塗りの高級車が店の周りに連なり、庶民には敷居が高く近寄りがたい店であったが日本料理としての天麩羅の名を高めた一軒であった。その後場所を移し規模を縮小して店舗を構えていたが、休業となっているようである。

「稲ぎく」で修業をした天麩羅職人は独立して多くの天麩羅店を構えている。日本橋「だぼ鯊」の主人は「稲ぎく」時代に浅草の寮に住んでいた頃の話を懐かしく話してくれた物である。「稲ぎく」が廃業とならなければ自分で店を持つことは無かっただろうと謙遜していたが、確かな腕で天麩羅好きを喜ばせている。

入谷にある小野照先神社前「からくさ」の主人は、「だぼ鯊」の高橋氏の弟弟子にあたる。たまたま前を通った「稲ぎく」の当時の繁盛ぶりを見て門をたたき天麩羅職人を目指したと言うから面白い。下町にある気の置けない隠れた名店である。

「天政」は千代田区猿楽町に店を構える有名店であったが、現在は丸ビルに移ってお座敷天麩羅の伝統を守っている。天政出身では逢坂、すず航等が評判の店である。銀座天一で修業し独立して店を構えた職人は多い。銀座天亭、いわ井、天朝等々店名を上げれば切がないほどである。それぞれが独立後も創意工夫を行い、名店で修業した技術を持って評判を得ている。

だいぶ前の話になるが昼に急に天麩羅が食べたくなり電話を入れると、上手く席が空いていてそれではと急ぎ茅場町の「みかわ」を訪ねた。店の前には開店前から客が並んでいたが、開店時間が過ぎてもなかなか店が開かない。どうしたのかと思い待っていると、路地の向こうにタクシーが止まり主人が下りて来た。どうやら昨晩の夜遊びが過ぎたのか遅刻をしたようで照れながら並んでいる客に挨拶をしての登場である。客の方は待たされはしたが、主人である早乙女哲哉の憎めない人柄とその後に提供された天麩羅のうまさに満足をしてしまう。味で売る店は天麩羅その物ならずとも味がある物である。

その10 / 天麩羅ダネの花形は?

「月も朧(オボロ)に白魚の篝(カガリ)もかすむ春の空」ご存知歌舞伎三人吉三で知られるお譲吉三の名せりふである。江戸から明治の初めの頃は篝火(カガリビ)を焚いて白魚漁をする風景は江戸の風物詩であったらしい。細くて白い優美な女性の指は白魚のような指とたとえられる。昔の人は上手い事を言う物であるが、それだけ当時の人にとってはなじみのある魚であったようだ。白魚の天麩羅は江戸前天麩羅にとって欠かせない天種と言える。

芝エビは東京芝浦で多くとれた事から芝エビと呼ばれるようになったと言われている。車エビの仲間に属するが車エビより小ぶりで何匹か連ねて衣を付けて揚げて天丼として提供する店もある。かき揚の具としても使われる江戸前天麩羅の代表的食材でもある。

昔は沢山とれたとされる白魚も芝エビも今は東京で漁獲する事は出来ない。アナゴも江戸前天麩羅の代表選手であるがこちらは天麩羅種として現在でも東京湾で漁をされる貴重な魚でもある。築地市場にも羽田沖産のアナゴとして入荷され江戸前の鮨店や天麩羅店で使用される。

関西の天麩羅店では骨切したハモを揚げた天麩羅があったりグジ(甘鯛)の切り身を天麩羅にしたりもする。その土地により天麩羅種も変わって来るものである。イカの天麩羅は産地や季節によりヤリイカを使ったりアオリイカになったりと味わいが変わるので面白い。天麩羅にするエビは車海老が最上と言われていて店によって産地や大きさにこだわっている。

「天政」は天政サイズと言われるさい巻(小ぶりの車海老)を薄い衣を付けて揚げる。伊勢エビの専門店等では伊勢エビの天麩羅を提供する店もあり、カニ料理の専門店ではズワイガニの足を天麩羅で提供したりもする。エビフライ等エビ好きで知られる名古屋にはエビの天麩羅をオニギリの具にした「天むす」がある。

この「天むす」は三重県津市の「千寿」と言う店が発祥とされるが他にも元祖を名乗る店もあり中京地区の名物となっている。余ったエビの天麩羅を切って暖かいオニギリの具にしてまかない食として食べたのが始まりとされる。今は各店がアカシャエビと言う小ぶりのエビを天麩羅にして「天むす」を提供している。冷めても美味しい事から弁当としてデパートや駅でも売られている。

富山では特産の白エビをかき揚にして提供される。静岡では桜エビのかき揚げは定番となる。ブラックタイガーやバナメイと言われる輸入エビも天麩羅ダネとして人気がある。ランチ定食等にリーズナブルなエビの天麩羅として提供される事もある。

ちなみにエビを表す漢字としては海老を用いるのは伊勢エビ等歩くタイプのエビで車エビ等泳ぐタイプのエビは蝦の字を用いるのが正しいらしい。いずれにしても天麩羅における花形はエビと言う事になるのだろうか。

その11 / 天麩羅店は油も売りもの?

戦国大名の齋藤道三は一介の油売りから身を越し美濃一国の領主となったと語り継がれている。当時から油は重要な物資として流通していた事になる。行燈に使用して燃やす事で明かりとして利用されてもいたし食用等色々な用途があったらしい。

天麩羅に使用される油には胡麻油の他には、かやの油、椿油、等が主であったが菜種油や現在ではコーン油等のサラダ油も合わせて使用される。江戸前の天麩羅には胡麻油が欠かせないが焙煎をして風味を強くしたものや生のまま絞った太白油等が特徴を持って使用される。

搾る前に高温で時間を掛けて煎れば煎るほど油の色は濃くなり香ばしい香りも強くなる。定温焙煎ゴマ油は低い温度で焙煎するので透明感のある琥珀色とナッツのような甘く香ばしい香りが特徴となる。太白ゴマ油は生のままゴマを搾り精製した物で無色である。癖が無く旨味のあるすっきりとした味わいで天麩羅の素材を生かすと言われている。

常に新しい油を使用する為にこまめに油を取り換える店もあれば少し天麩羅を揚げなじませた油に新しい油を混ぜて使用する店もある。搾り方も臼挽き、玉締め搾り等と工夫されそれによって味わいも変わる。玉締めは小さな圧力で時間を掛けて搾り自然に沈殿した物を和紙でろ過して作られる。無理な圧力を掛けずに手間暇をかけ優しく絞るので油の風味を損なわないと言われている。

元々ゴマ油は酸化安定性に優れた油でゴマリグナンと言う抗酸化物質を含む。ゴマリグナンの成分は一般にも知られるようになったセサミンやセサモリン、セサミノールでありビタミンE、カテキン、ポリフェノール同様に抗酸化作用があると言われている。ゴマ油自体はリノール酸とオレイン酸が主成分であるがこちらも色々な効能が注目されている。天麩羅は油料理ではあるが良い油で揚げられた物は少々食べ過ぎても胃もたれせず胸やけもしないゆえんである。

天麩羅店によっては塩で食べる事を薦める事があるがこれは油の質や素材の良さを楽しんでもらいたいと言う処であろう。最近は天麩羅に付けて食べる塩も抹茶と混ぜて抹茶塩、カレー粉と混ぜてカレー塩、紫蘇の粉末や花山椒の粉末を混ぜて提供する店もある。

最近はコシアブラやフキノトウ等の山菜の天麩羅にオリーブ油が使われるケースもあり軽くあっさりと食される。天麩羅はトンカツやメンチカツのようなフライとは違い動物性の油を使ってあげる事は無く食材自体も脂っこい物は使用しない。魚貝類や野菜を多く使う天麩羅はフライ物と比べてヘルシーな揚げ物と言える。

また魚を食べるのが苦手でも骨を除いて食べやすく調理した天麩羅なら食べられると言う人も少なく無い。魚の余分な水分が油分と置換され魚の生臭さも無くなってしまう。天麩羅を蒸し料理とたとえる人もいるが油で揚げる事により外を衣でコーティングして中の具材を蒸すようにふっくらとジューシーに調理して行くからである。いずれも油を熟知した職人ならではの技と言える。

その12 / 天麩羅の魅力はつきない?

東京における天麩羅の歴史や普及において特記される店がある。昭和5年創業の銀座「天一」は多くの文人や著名人に愛された名店である。戦後吉田茂の命で官邸に揚場を設け進駐軍司令部との交渉を円滑に進めるよう天麩羅外交が行われたがそれを受け持ったのが天一である。バーナード・リーチやフランク・シナトラは来日するたびに天一を訪れたと言う。

またこの店はカレー塩と言ってカレー粉に塩を混ぜた物を天麩羅に付けて食す食べ方を考案したりもしている。天麩羅を抹茶塩、山椒塩、等で味あわせる店も多い。抹茶塩等塩で天麩羅を食させるのは鰹節だしの天つゆが使えない精進料理で良く用いられる食べ方である。新宿の老舗船橋屋ではローズマリーやオレガノ等7種のハーブを使ったハーブソルトを提供している。天麩羅が洋風になったような気がするのもおつな物である。

変わり揚げを楽しめる店も増えて来ている。小柱を海苔で巻いて揚げる小柱の磯部揚げ、短冊に切ったイカにタラコを挟んで揚げたイカモミジ。シイタケにエビのすり身を詰めた物、干し柿のチーズ巻、ハスの穴に明太子を詰めて揚げた天麩羅。真薯を湯葉で包んで揚げた物や長芋に梅肉を挟んで海苔で巻いた会席料理風の物までさまざまである。

最近西洋料理店ではオープンキッチンが多くなってきている。シェフズテーブルなるシェフが客の見ている前で調理して料理を提供する試みが評判を得ている店もある。客は料理の出来るまでシェフの調理方法を五感で感じながら出来立ての料理を楽しめる新しいスタイルで評判を得ている。

天麩羅専門店はと言うと何のことは無い昔からオープンキッチンで客はシェフズテーブルよろしく揚げるしぐさを見ながら音と臭いを感じて揚げたての天麩羅を楽しんでいたわけである。このシェフならぬ天麩羅職人の技はノウハウがいっぱいで素人には分からない手間がかかっている。したがって簡単に分かるものでは無くとてもそれを詳しく説明する事は出来ない。

お座敷天麩羅で知られる天政の仕事ぶりを例にざっと見てみると天政サイズと言われるさい巻エビの頭を取りしっぽの部分を形よく切って整える。殻をむいて背ワタを取り揚げた時にエビが丸まらないように切れ目を入れ塩水に10分程度漬け込み布巾にて水気を取る。全卵3に卵黄1の割合で冷水に溶き冷やしておいた薄力粉を振るいで振ってダマを除き太箸にてさっと混ぜる。少々上に粉が浮いているような状態にて箸を持ち上げると箸の先から流れるような粘度に溶いて行く。衣を付けて揚げる事になるのだが味見をしながら調理する事は出来ない。職人の経験と技術により瞬間に調理される言わば一発勝負のやり直しのきかない料理である。天つゆは醤油、みりん等を調合した元だれを3~4か月熟成させだし汁で割って使用される。天麩羅は1に素材2に油3に職人の腕とよく言われる。

下ごしらえに手間暇をかけて細工は流々いざ揚場と言う舞台へ。江戸から続く食のエンターテナー天麩羅の魅力はつきない。

※この冊子に掲載されている情報は2013年12月現在のものです。(小堺化学工業株式会社 青木 知廣)