社長の呟き 2022年1月~6月号(日本橋倶楽部会報 ”はし休め”より)

はし休め

日本橋倶楽部会報1月号(第508号)

【 一月号】

「乾 杯!」

2013年1月に「清酒の普及の促進に関する条例」が京都市で施行され、以来「乾杯条例」なるものが各地で制定された。”國酒”である日本酒の消費落ち込みに歯止めをかけようと2004年に発足した「日本酒で乾杯推進会議」が奔走した成果だが、その後焼酎やワイン、はたまた牛乳にまで拡がった。歴史家の安藤優一郎氏によると江戸時代、年貢米を換金することで歳入を賄っていた幕府や藩にとって米価を安定化することは重要課題であった。江戸初期には既に総石高の三分の一が酒造用に回されており、気候が良く、新田開発、生産技術の向上等により作高が増え、米価が下がると、酒造りを推奨して市場の主食としての米を減らし、米価を上げる。また下り酒の決済に京へ流れる金銀の流出を抑えるためにも地方の酒造を奨励した。一方飢饉時には米屋の打ちこわしなど治安が乱れるため、酒造を抑制して市場に出回る米を増やし、米価の高騰を防いだ。

さて、昨年の正月は新型コロナウィルス禍の下、”新酒”は”慎酒”に席巻され、この条例も”完敗”であった。酒はいつの時代も世情に翻弄される。

本年こそはウィルスの終息を期待し、高らかに乾杯したい。 小堺

 

日本橋倶楽部会報2月号(第510号)

【 二月号】

「コロナ禍の箱根駅伝」

昨年に勝る沿道観戦者の盛大なる応援の中、第98回箱根駅伝が1月2、3日にかけて行われた。毎年、小欄も復路10区の日本橋へ応援に駆けつけるが、本年は主催者の新型コロナウィルス”感染”拡大の中”観戦”自粛の要請にもかかわらず、三密を越えた”箱”詰め状態であった。古代ギリシャ ”マラトンの戦い”で伝令・ピリッピデスは勝利を伝えるや否や心臓が破裂し、息絶えたと言われる。日本橋をトップで渡りきる駅伝選手はこのピリッピデスを彷彿させるが、同行車から逐次順位やタイムを伝えられる現代ではドキドキすれど破裂することはない。しかし翌年シード権の10位以内に入る為、心臓が千切れるような熾烈な争いが展開されるのは橋を渡って、左折してからゴールまでの1キロメートルである。箱根駅伝・復路は「名橋・日本橋保存会」の嘆願により1999年(平成11年)の第75回大会からこの国の重要文化財を渡るコースに変わった。現在、橋の北詰めは野村證券を中心とする大規模開発の真っ只中、街並みは変われど当時あった東急百貨店や西川蒲団店を思いだしながら橋を渡ると、極寒の二月でも若者たちの足音と熱き吐息が迫ってくるようで心温まる。 小堺

 

日本橋倶楽部会報3月号(第511号)

【 三月号】

「現代マスク考」

 「日に千両、鼻の上下(うえした)、へその下(した)」

日本橋には現代に換算して日に約一億円もの商いが三つあった。なるほど、目は歌舞伎(堺町・葺屋町)、口は魚河岸(本船町、小田原町、安針町)、臍の下は元吉原(葺屋町)と言うわけだ。しかしその後、鼻の上下、臍の下も浅草(猿若町)、築地、新吉原(日本堤)へとそれぞれ移転してしまい、今やその面影は無い。

二年間も新型コロナとの戦いが続き、マスクの世界市場は70億ドルを突破、さらに毎年10%以上増えると言われる。日本ではインフルエンザと花粉症は新型コロナウィルスによって駆逐され、“ハクション”は“ワクション”という造語に取って代わられてしまった。この先DNAまで変異させられると、マスクをつけた子供が生まれてくる妄想さえ抱いてしまう。

マスクの派生語である“マスカレード”は身分、既婚を問わぬ恋愛の場、仮面舞踏会を意味している。ヴェネツィア人は疫病ペスト蔓延にも関わらず、マスカレードへ出かけたが、巣ごもりの日本人は“マスク華麗度”に磨きをかけ、目も口も閉じ、鼻で笑っている。 小堺

 

日本橋倶楽部会報4月号(第512号)

【 四月号】

「ウクライナの桜は今」

 2017年、キエフにある日本大使館では両国の外交樹立25周年を記念して桜2500本をウクライナ各地に植樹する事業を行った。
スラブ語で辺境・国境を意味する“ウクライナ共和国”は東スラブ地域に9世紀頃、バルト海から南下してきたノルマン人が建国した“キエフ・ルーシ公国”を起源とする。しかし13世紀に入り、モンゴル帝国の侵略を受け、これら公国を束ねていた“キエフ大公国”はあっけなく崩壊する。肥沃な穀倉地帯であるが故、労役の奴隷市場でもあったこの地域の人々をスラブ人と呼ぶことから、“Slave”は奴隷をも意味する。また北欧と東アジアの血が程良く交流した結果、美女がとても多い。1917年のロシア革命によりウクライナ人民共和国として独立、1922年には旧ソ連(Union of Soviet Socialist Republics) に編入されたが、1991年のソ連崩壊により再び新国家として生まれ変わる。ちなみに“キエフ・ルーシ公国”の“ルーシ”はギリシャ語でロシアを意味するが、現代のロシア、ベラルーシもその一公国であった。2014年のクリミアから始まったロシアの兄弟虐めはついに爆風により美しづくしの国の桜吹雪を血塗られたものに変えてしまった。  小堺

日本橋倶楽部会報5月号(第513号)

【 五月号】

「完全投手と佐々木姓」

 完全試合とは無安打、無死四球、完投のパーフェクトゲーム。もちろん無失策で味方の得点無しでは達成できない。4月10日のオリックス戦でロッテ・佐々木朗希投手が巨人の槇原投手以来28年ぶりに日本プロ野球史上最年少の20歳5ヶ月にして令和初、16人目の完全投手として名を連ねた。13連続奪三振は日本記録、19奪三振は日本タイ記録。また総投球数105の内、ボールと判定されたのは23球で、ストライク率は何と78.1%である。直球平均球速は160.18㎞/h、元MLBのバレラ(ブルージェイズ)、ラベロ(カージナルス)や杉本のバットは悉く空を切った。またナイスリードの捕手・松川虎生の18歳5ヶ月と合わせ最年少完全試合バッテリー誕生となった。MLBの大谷翔平投手は身長193cm、体重95.3kg、佐々木は190cm、85kg、いずれは米国へ渡ってしまうのだろう。ところで史上8人目及び11人目の歴代完全試合投手に佐々木吉郎氏(大洋・故人)と佐々木宏一郎氏(近鉄・故人)がいるが、今回で佐々木姓は完全投手の創出家となった感がある。なお吉郎氏は引退後、当倶楽部近くの“くすりの街”日本橋本町にて豚肉と衣が抜群のバッテリーであるトンカツを“吉”という店名で提供していたが、残念ながら2008年に他界された。現在は夫人が経営しているが、この“吉”報を聞いたら、天国で祝杯を“揚げる”に違いない。 小堺

 

日本橋倶楽部会報6月号(第514号)

【六月号】

「沖縄の思い」

1972年5月15日に沖縄の施政権が米国より日本に返還されて50年となった。沖縄がかつて米国に占領統治されていたことを知らない若人も多く、今年は沖縄を舞台にしたTV番組や特集が多い事で再認識した方も多いかもしれない。ドルが円に、交通規則が左側通行に、ダイム(10セント)でかけていたフォーンブースは10円の公衆電話に替わる。沖縄の人々は期待と混乱の一日を迎えたに違いない。

清国に支配されていた琉球王国は薩摩の侵攻から琉球藩へ、明治政府の下では沖縄県となり、太平洋戦争後は米国の統治を経て現在に至る。沖縄戦では一般住民9万4千人を巻き込み、米国兵の2万人、英兵85人を含む約19万人がこの地に散っている。この戦いは3月26日に始まり、6月23日に牛嶋中将が自決、実質的な戦闘終結は7月4日である。江戸末期、ペリーは浦賀沖に現れる前に5回も黒船で沖縄上陸を果たし、太平洋戦争でも米軍は沖縄攻略を日本降伏の最重要戦略とした。ちなみにサトウキビ畑に埋まる住民たちのことを本土出身のバンド「THE BOOM」が作詞・作曲したものが「島唄」である。優しく、か弱い人々はいつも平和の名の下に犠牲を強いられてきた。「ウチナー」は今月77年目の終戦日を迎える。 小堺