江戸の銭湯③ 【銭湯の営業時間】
江戸っ子にとっては、銭湯に出かけることは毎日の生活の一部となっていましたが、その営業時間は現代と比べても長いものでした。
寛文2年(1662)に、営業時間は日の出から日の入りまでと定められました。つまり、明六ツ(午前六時)から暮六ツ(午後六時)までというわけですが、実際は日没後も、湯が冷めない間は営業を続けているのが普通でした。およそ、午後八時ぐらいまでは営業していたようです。
時間帯により、客層は違っていました。朝は仕事に出かける前の者、あるいは隠居身分の者が銭湯にやって来ました。午後は手習いから戻った子供や仕事が終った者たちがやって来ました。そのため、日の出から日没まで営業していても、銭湯には人の出入りが絶えませんでした。
江戸の銭湯④ 【銭湯での有料・無料サービス】
銭湯では、様々なサービスが提供されていました。有料のものもあれば、無料のものもあります。
受付にあたる番台では、体を擦る糠袋や体をぬぐう手拭が有料でレンタルされました。体の汚れを落とすための洗い粉も売られています。現代に言えば石鹸に当たるでしょう。楊枝や歯磨きも売っていました。
洗い場には備え付けの櫛や爪切りなどがあり、共用されました。ただし、持ち去られないように、櫛には紐が付いていました。
桶については、無料で使用できる共用の桶と有料の桶があります。有料の桶は留桶(とめおけ)と称されました。自分専用のものとして、銭湯でキープしておくわけです。
入浴料は格安でしたが、懐に余裕のある者は留桶のほか、三助と呼ばれた湯屋の奉公人を雇って体を糠袋で擦らせています。風呂焚きはもちろん、湯屋の雑用一切は三助の仕事でした。
江戸の銭湯⑤【銭湯の二階の座敷は休憩所だった】
風呂から上がると、男性は銭湯の2階に設けられた専用の休憩所でくつろぐことが多かったようです。銭湯には女性も入っていていましたが、専用の休憩所は設けられませんでした。男性の数が女性よりも圧倒的に多かった江戸の町の特徴が、こんなところにも表れています。
2階に設けられた男性客用の休憩所ですが、無料で利用できたわけではありません。入浴料と同じぐらいの利用料を払う規定でした。
休憩所の使用料は8文でしたが、菓子も1つ8文で売られています。お菓子だけでなく、御茶付きでしょう。入浴料は安く設定されていましたが、2階でお金を落とさせることで、銭湯は経営の安定を目指したのです。
銭湯にとって2階の休憩所の利用客は上客でしたが、入浴した後の客だけ利用したのではありません。利用料を払えば、入浴しなくても休憩所は利用できました。いわば町の社交場となっていたのです。
江戸の銭湯⑥【休憩所は町の社交場の顔も持っていた】
男性に限られましたが、銭湯の2階に設けられた専用の休憩所で、町人たちは囲碁や将棋を楽しみながら、あるいは備え付けの絵草紙などを読みながら、湯上りのひとときを過ごしました。
休憩所は町の社交場でしたから、壁には商品の広告や芝居の番付、寄席や見世物といったイベントのチラシなどが貼られているのが日常的な光景でした。社交場であることに目を付け、広告やイベントのチラシが貼られたのです。
町の銭湯を利用したのは、町人とは限りません。下級武士は自宅に風呂を設ける余裕などはないため、銭湯に通わざるを得ませんでした。その際には、二階の休憩所も利用しています。町人の場合と同じく、必ずしも入浴した後に利用したわけではありません。町の社交場となっていたことから、市井の情報を知るには格好の場所でした。入浴せずに、二階に直行する場合も多かったようです。
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