2024年の江戸の歳時記は江戸の化粧事情を連載致します。
江戸の化粧事情① 【ロングセラーとなった化粧の解説書】
ヘアスタイルや銭湯事情を通じて、江戸のファッション文化を垣間見てきましたが、今回からは江戸の化粧事情にまつわる話をご紹介していきます。
江戸時代は泰平の世を背景に、化粧産業も非常に発展した時代でした。薬種問屋街として知られた日本橋の本町は、化粧品を扱う問屋街でもありました。
化粧への関心の高さから、化粧法の解説書がいくつも刊行されています。なかでも、『都風俗化粧伝』(文化10年(1813)刊)などは、大正時代まで読み継がれる大ロングセラーとなります。
『都風俗化粧伝』は上・中・下巻の三冊から構成されていますが、その内容は実に多岐にわたりました。唇の厚さを薄く見せるための紅や白粉の使用法、目の上に紅を差すことで顔を華やかにみせる方法などが挿絵付きで紹介されています。著者は佐山半七丸、挿絵を担当したのは浮世絵師の速水春暁斎でした。
文政2年(1819)には『容顔美艶考』が刊行されています。季節や場所による化粧法の違い、顔の特徴に合わせたメイクなどについての解説書で、同じく人気を博します。著者は並木正三という人でした。
江戸の化粧事情② 【洗顔に使われた糠や洗い粉】
江戸時代の化粧品と言えば、何といっても白粉と口紅ですが、白粉や口紅を付ける前の洗顔に使われたのが糠袋や洗い粉でした。糠は玄米を白米に精米する時に出るものでしたので、たやすく手に入りました。庶民にとっては身近な洗顔料でしたが、銭湯の番台では1回分の糠が4文で売られました。
木綿の布を袋状に縫い合わせた袋の中に糠を入れ、ぬるま湯に浸して絞ります。そして、顔を撫でるように滑らせて洗いました。糠だけでなく、袋の中には豆の粉や鶯の糞も混ぜました。
江戸では銭湯が普及しており、入浴時を利用して洗顔していましが、体の汚れを取るための洗い粉も洗顔に使われました。小豆や大豆を臼で挽いてパウダー状とし、これに香料を加えたものが洗い粉として市販されたのです。銭湯の番台では洗い粉も売られていました。
前回ご紹介した『都風俗化粧伝』には、糠袋に洗い粉を入れて洗えば、顔の油を良く取り除くことができ、肌のキメも細かくなると紹介されています。
江戸の化粧事情③ 【江戸の化粧水】
化粧前の洗顔に糠袋や洗い粉を使った後は、白粉を付ける段となりますが、白粉ののりを良くするための下地として化粧水もよく使われています。
自家製としてはヘチマの水から作られたものがありましたが、商品化された化粧水としては「花の露」「江戸の水」が代表的な商品でした。「花の露」からみていきましょう。
花の露は、芝の神明宮(現在の芝大神宮)前に出店していた化粧品店の「花露屋」で売られた化粧水です。油を使わない化粧水として人気を博し、明治まで続くロングセラーとなります。
その製法は、『都風俗化粧伝』によれば次の通りです。
三段になっていた蒸留器の一番下の器に水、中段の器にいばらの葉、一番上の器に水を入れて火をかけると、いばらの花の成分を含んだ蒸気が上段の水で冷やされ、その蒸留水が落ちてくるという仕組みでした。これに香料を加えれば出来上がりです。その効能書によると、顔に塗れば光沢が出て、香りも良くなり、肌のきめが細かくなるということでした。
※安藤優一郎氏の「江戸の歳時記」Ⅰ~Ⅲ (2015~2018年)を冊子として刊行しております。
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