社長の呟き 2021年10月号 「オリンピック―見えない観客」

日本橋倶楽部会報10月号(第505号)

【 十月号】

「オリンピック見えない観客」

 

昭和39年10月10日、前日の台風による豪雨は奇跡的に止み、古関裕而作曲のオリンピックマーチが高らかに演奏されると94ヵ国の選手団の入場が始まった。原爆投下の日に広島に生まれた早大競争部の坂井義則により聖火台に火が灯もされると、雲一つない青空にブルーインパルスが五色の五輪マークを描いて、1964東京オリンピックは開幕した。柔道無差別級の決勝で神永を寝技で破った瞬間、ヘーシンク(オランダ2010年没)は歓喜の余り、畳に駆け上がろうとした関係者を手で制した。この時、日本柔道の武士道精神は外国人によって示され、世界のJUDOへ国際化されていくきっかけとなった。今大会で73kg級金メダルに輝いた大野は畳を下りるまで雄叫びも拳さえもあげず敗者を労わり、世界で磨き上げられてきたサムライ・スピリットを57年ぶりに日本人に示してくれた。ローマに続き東京大会でマラソン競技を史上初、連覇したアベベ(エチオペア1973年没)はその後、交通事故で下半身不随となり身障者スポーツ選手へ転じる。そして今大会ではキプチョゲが史上3人目の連覇者となった。彼ら二人は見えない観客として東京を応援していたとしか思えない。小堺